「森山大道展」「We 命尽きるまで」軟派で根性なしなあたしの感想。

 本日は大変、密度の高い1日でした。眠れるだろうか。。


まずは寝坊による2時間の遅刻で森山大道展 I.レトロスペクティヴ 1965-2005、II.ハワイ@東京都写真美術館。勝手に森山小道であるあたしとしては、森山大道勝手に師匠の作品はおおむね好きなのですが、80年代的なギラギラした作品だけはあまり得意ではありません。
 技術面での“アレ、ブレ、ボケ”、精神面での「写真とは何か」というラディカルな問いなどが話題として得られやすいものですが、個人的に彼の方の写真の魅力は、そのビジュアルの美的感覚とそこにぬりこめられた思いのようなものにあると勝手に思っています。モノクロームの彼の方の写真は実際にその風景等を目にするより美しく、妖しく、なまめかしいことさえあるものです。また、展示室の一角で流れていた映像(ジム・オルークの音楽がやはりハマリで秀逸です)をみれば彼が犬に「悪かったよ」と告げる以外に口を開くことさえなく、車に乗っていても歩きながらでも、ただひたすらにシャッターチャンスを求めているさまがわかります(もちろんずっとではないでしょうけれど)。それをみるとあたしには、彼の方は言葉のかわりに、仕草のかわりに、あらゆる他の表現を排除してただひたすらに写真にのめりこむ殉教者、もしくは大好きなおもちゃで遊ぶことに没頭する永遠の少年のように思われるのです。
 ファインダーをのぞきこむその前髪が風に揺れ、ハワイをTシャツで歩きまわります。そして、自らの内にある魂のたまちゃんみたいなものを作品におさめるのです。だから、あたしは、森山大道の作品のなかでも「痛い」ものを特に愛します。鋭すぎるエッヂが焼きつけられたもの、せつないやさしさがにじみでたもの、なにかがあらわになったもの、凍るような冷ややかさを感じるもの、などなど。ショップでマッチを購入。中身を入れかえて使いましょう。
 で、ちなみに先にみていたオヤビとも話題になったのが、さまざまな写真家がどうしても哲学を求め、多くの人がたどりつくこたえはやはりかんたんにいうなれば「エゴではなくあるがまま」みたいなところなのだけれど、同様に哲学をともに求めて考えを闘わせていた戦友であった中平卓馬はひとっとびに意図せずしてその境地にたどりついてしまった。そこが人生ってやつの不思議なのよねぇとそんな話をした。


 恵比寿から下北沢へと移動。先日、合唱練習よりおじゃまさせていただいた「9条改憲を許さない!6.14フェスタ」の歴史・背景と具体的な意義についてなどを知るべきであると考えたこともあり、「We 命尽きるまで」を拝見。「あの闘士たちが今、『憲法9条改憲阻止』の一念で再結集!」というのがテーマですね。個人的にはこの作品のいちばんの魅力は、個々の方をかいまみることができたことでしょうか。そこをもっとみたかった気はしました。お1人ずつのお考えも。
 トークイベントご出席は、塩見孝也さん、下山保さん、斉藤政明さん、けしば誠一さん、鈴木迪夫さん、藤山顕一さん(サイト掲載順)。あたしが特に強く共感する部分は、「波長をあわせるための劇的な変化=ある種のおもしろさが運動に必要である」というお話と、「違い、価値観の多様性を認めよう」というご意見。これらは現在の運動に欠かせないものとあたしも考えており、若い世代の活動などもここがうまくいくと成功しているように思います。
 あたしがなぜそもそもこういった場に顔を出しているのかと問われれば、10代の頃は「社会は敵」「金は敵」と考えており、その後は「政治に無関心なのは政治のせいだから投票にも行かないなぜならそこに行くことで政治に賛成していることになるから」と常に極端でおそろしい(と自分でも思います)。その後、特に友人などとは社会問題に関する意見を交換したりはしていたが、ここ半年〜1年程度で「もう本当にみんなで無関心でいるあいだに社会・世界は危機的状況に陥っている」と感じていろいろな会合に参加。そのなかで学んでいくうちにさまざまなしくみがみえやすくなってきて考えが少しずつでもまとまってきたと。そして歴史・社会に関する映画をみたり本を読んだりもして、自分でもできることをやろうと学習会のようなものをやってみました。
 前後するようにmixiに塩見さんがいらっしゃることを知ってたずねたら足跡をたどってフレリクをくださり、さっそくフェスタに参加、なぜか今日はみんなでお茶をしながらのお話にまでおじゃまさせていただいたと。で、mixiを拝見しても、お話をお聞きしても、根本的にはほとんどが共感できるお話ばかりで。それはあたしの力不足によって周囲で賛同がなかなか得られないようなお話も含まれているのですね。
 さまざまな会合に出ていても、共通認識としては、ネオリベグローバリズムグローバル資本主義)に対する危機感があって。だけどそれへの対処法としては、「個々の草の根レベル」というのがやはり周囲でのなんとゆうかアイディアの限界であったわけです。でも、彼の方はそこに対する構築された理論と具体的な戦略とをもっていらっしゃいます。磨き上げられたインテリであってなおかつ人生を賭したハードコアな活動家の方ですよね。でも、本当に「9条改憲阻止の会」のみなさまもそうですが、お考え、手順、現実的な実行法などは、おおむねあたしは心底賛成します(まわりくどい変な表現ですね)。個人的にはあたしは理想主義的な面やアナーキーな面からくる極端で性急な考えの具現化にネガティブになることも多々あるのですが、みなさま最近仕事でお会いする年上の方々同様、希望を捨てない、ポジティブであり、エネルギッシュであり、と大いなる刺激を受けます。
 昨日の「ひめゆり」につづき、諸先輩方から学ばせていただくことは多く、それを咀嚼して思いのたすきを引き継ぎたいと願ったりはします。まああたしじゃ力不足なので、関心のある方は、ぜひご連絡ください。森山「大同小異」(なんちて)で動くべきときなのだと繰り返されているのです。ちなみに夕飯は下北沢の中華料理店にて、友人・仲間の3人と振り返って意見を交換。


 さてさて、宿題をどっさりいただいたような気分であり、まあ草の根法で考えていることもいくつかあるので、それらを公私ともに一歩一歩実行にうつせればと。まあ、私や会に反対意見の方もいらっしゃると思いますが、反論を無下につっぱねるような会合には出ていないつもりではおります。なんか最近おかしいと思うことがあるとか、お話がしたいとかいうことでもかまわないと思いますので。あたしが誰かと社会問題について何かをしようとするときには、「人間性(寛容性とか敷居を低くしてくれるとか知識・思考・感性のバランスがいいとか)」重視で「希望を捨てないことの大切さ」を感じさせてくれる方のところに参加させていただくことが多いような気はします。まずは、理想の小さな村をつくればいいって話にしたくならないように、少しずつ勉強を重ねる所存。
 G8もそれこそ中国もという話が今日ありましたが、その次はインドなんて話もあります。世界平和アピール七人委員会(武者小路公秀氏、土山秀夫氏、大石芳野氏、井上ひさし氏、池田香代子氏、小沼通二氏、池内了氏)による「G8首脳宛アピール」のなかには「先進工業国の責任を自覚し、問題の根幹を捉えた的確な決定を」という意見がありました。このサミットに対するあたしの考えはまあ今回特に明記はしませんが(少しずつ勇気を出せるようにしますね)、この意見には共感できる部分があります。明日の関連の動きには親友の結婚パーティーのために参加できませんが、アンテナはしっかりはっておこうと思います。今夜の雨音はショパンより今日歌った「We shall over come」でしょうか、なんて。途中歌詞がわからなかったけど。


 ちなみに昨日記入した「今読ミ」お知らせいただいたので登録しなおしました。
『レッド』(山本 直樹) ネタバレクリックでさらにネタバレコメントもご覧いただけます。