クオリアとビジョン?

 最近つくづく実感することは、クオリアを受けて人のビジョンがばーっと広がるというのも遺伝的・環境的要因によって決まり、訓練はできるだろうけれどこれも向き不向きの役割分担だろうというようなこと。だから、たとえば創業社長とか●●プロデューサーだとかそういった方々と話すと、頑固でわがままで何の話をしても明確なビジョンがある人が多いということ。だから、そうでない人はそうでない人なりの動き方が必要であり、発想力とか職人気質だとか、すべてはこう役割分担なのですよね。


 役割分担だから、誰もがビジョンをもたなければならないなんてことはなくって、だけど「マイルストーン」を探さなきゃなんてこともなくって、そうか、この目的なら自分の役割はこれだろう、ということでやったらいいと思うんです。で、ビジョンがある人はおせっかいに人の役割まで探すのもうまく、ビジョンがある人にはわくわくとエネルギーとがあるから、まわりの人もわくわくさせる。で、それでもちがうなと、自分の役割はここにあると感じられないなと思ったら、変な義理や「下心」は捨ててかかわらないほうがいいと思うんです。だって、私利私欲を考えて、あとで利用されて捨てられたみたいに感じるでしょうから。わくわくがつづくかどうかは、お互いだったりやっぱり努力だったり忍耐だったりみたいなありがちのあれだとか、エンだとかウンだとかカンだとかさまざまな要因が絡み合うのでしょうね。


 ビジョンがある人の独特なペースというものがあるから、まわりは振り回されたりします。それを不満にも感じるでしょうがいっぽうで人と人とのかかわりからしかチャンスだとかなんだとかは生まれません。ただし常に人は自分の役割を自分自身で見直していく必要があると思うんです。目的はたいがい何か大きなことなんだと思うんです。その大きな目的に向かうなかで、目的を意識するしないにかかわらず、わたしやあなたは満たされていくような気がするんです。これを「目的」であるとみいだし、そのためのビジョンをもつ人がリーダーです。権力なんてちっぽけなものが必要な場所など、どこにもありません(イラッとするからほしくなったりはするだろうけど、これを放棄することが大事。放棄さえすれば永遠に自由)。


 わたしはとにかく有象無象を集めるとよく人にいわれ、そのためにトラブルも多いです。はっきりいって。なんだけど、集めることはマイナスじゃないと考えられるので、どうにかやってます。だから、離れていく人がいたって、まったくかまわないです。その人だとかなんだとかの意志とは無関係にその人をどうこうしようとか、よっぽどのことがあっても、なかなかまったく思わないです。面倒くさいので。喜びをわかちあえる人に感謝します。人の孤独なんてものは、人がまわりにいさえすれば癒されるような軽々しい?ものではないと個人的には考えているし、だからなんだとも思うし。別にいいじゃんと。だからこそ、喜びをわかちあえるということには、奇跡的な価値があるのだと思う。それは、誰とでもというわけにはいかない。この奇跡を起こすなら、あなたもわたしも大事なことだけは伝えあわなければいけないのだと思う。大事だと思う内容は人それぞれですけど。わたしはあなたやわたしのエネルギーをエコ活用?します。よくゆう「化学反応」が起きれば、一緒に奇跡に向かうだけです。道のりはたいがいは遠いので、場合によっては(ご縁があれば?)長らく楽しめますよ。やじさんときたさんです。


 矛盾が多いように読めるかもしれませんが。
 というわけで、どうですか?(何が、って?)