「おしっこを飲もう!」
というタイトルにしてみたわけであるが、愛する彼の人の、とかはもちろんなんだけど、とかゆってるとまた脱線するわけである。冒頭から。
「頭がいい人とはどんな人か」とゆう問いに対しては常に、「1つのことを100とおりに考えられる人」「そのうえで真実とゆうものがあるとするならばそれに近づくこたえを求めんとする人」とこたえている。「100パターンの例を知識として備えている人」とゆうのでもいろんな役に立つのかもしれない。「直感力に優れている人」とゆうのであればそれはさらにすばらしいけれど、不確定要素、リスクは大きいかもしれない。
いまだ社会的な何かについてあれこれ考えたり話し合ったりすることに最も「甲斐」を感じている昨今。さまざまな意見が出るほどによいのです。そこで理解しあうことをめざしつづけることがすばらしいわけで、それ以外の目的は二の次なのです。そうすればみんなで100になることが可能になるかもしれません。
映画を浴びるように観、あれこれ濫読していた今日この頃。昨夜は劇団岸野組 1990プロジェクト『裏のうらはオモテ!!』とゆうのをただみさせていただいており、その際に善悪とゆうものはないっちゃあないわけであるけれど、それに近いものが逆のものとして(悪らしきものを善として、善らしきものを悪として)伝えられていたりすることは現代においてもよくありゅとゆうか顕著であるなあと考えていた。まあ楽しく拝見させていただいたわけです。
で、終わって下北で広島風お好み焼きをたらふく食べてからミスドでカフェオレで話していて、Rちんが「中国の地震で自分のおしっこを飲んでいた人が生き残っていたから、そんなことになったらぜったいにおしっこを飲もう!」とゆうことをおっしゃる。
あらゆる生物を守る種、自らの所属する生物を保存・繁栄させようとする種、自らを保存・繁栄させようとする個、とゆうものが「強さをもった生物」であるとするならば、これはもう大切なことで、航空機が墜落したら犠牲となった仲間の人肉をも喰らうべきであるとオレは思う。
先日、アリがいかに優秀な生物であるか、「他の生命にさえ貢献する生物が結局最強の種となる」とゆう話を聞きながら、太古から姿を変えない亀はエネルギーを極力使わないことでエネルギー摂取を最低限でいいように保ってきたとゆう話を思い出していた。そしてオレは、「ガイアの意志」とゆう言葉をも浮かべた(誤解を受けそうな文脈ですが)。つまりきっと最強の人間とゆうのがいるとするならば、人はもちろん、あらゆる生命について思いを馳せる宮沢賢治みたいな人のことなのだろうと思われる。天災から学ぶべきことは大きすぎてオレにははかりきれない。ミャンマーではトラックが止められずに車から食糧を投げている。嗚呼。小さなことからやっていこう。「北風と太陽」の話をも思い浮かべつつ(あと、種は群れるほどに得をする、とゆう話も。大変興味深い)。
最後に
- 作者: 米原万里
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/08/17
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 41回
- この商品を含むブログ (51件) を見る