洗濯とフラとお仕事と映画

お洗濯日和。ホットフラで、ドーナツのイーストに対するアレルギーが疑われ出したカラダをリセット。漫画喫茶でお仕事。そして

爆音 デジタル・ゴダール
フォーエヴァー・モーツアルトFor Ever Mozart
1996年/SRD/85分
脚本:ジャン=リュック・ゴダール/撮影:クリストフ・ポロック/録音:フランソワ・ミュジー
出演:マドレーヌ・アサス、ヴィッキー・メシカ、フレデリック・ピエロ、ガーリア・ラクロワ
『フォーエヴァー・モーツァルト』のクリアな音の分離がもたらす「戦場」の音響は、たとえば『プライヴェート・ライアン』の冒頭のようなめくるめく「リアリティ」を持つことはないが、しかし何か忘れがたい記憶の手ごたえとして、乱暴に、私たちの身体をゆすったはずだ。


「爆音ゴダール」というフレーズで、もうコレは観るでしょう。睡魔を呼び寄せる映画に音楽だけが爆発するってんだったらどうしよう。そんなことを話しながら会場へ。あたしは始まり直後に財布をなくしたと思いこんでバッグの中をあさっていた。その後も前半部で心地よく少々居眠りした(やはり寝たか。まあ別に気にならないのだが)。たいそうなことはもともといえるはずもない。


だが、帰宅後に気になった箇所がいくつかあったので調べていたら、やはりどうしても「わかる/わからない」と言いたくなったり、構造についてを含めて批評家然?として語りたくなったりさせるのがゴダールなのだとは思う。


でも。何かを考え、何かを感じた。それが今後長らく残りそうである。それは、小難しそうに感じられる芝居を観たり、詩や思想に関わる書などを読んでもよくあることではある。ストーリーを理解しようとすることに慣れた我々は、どうしてもストーリーを読もうとしがちなのだ。


例えば恋愛などにおいて、頭からも心でも感情でも魂でも一貫して「好き」ということになると、人は非常に気持ちいいのだと思う。だけど、この映画を「頭でわかる」ということのために哲学や思想や倫理や文化のあふれんばかりの知識を必要とされるのだとするならば、それが可能となる人は限られるだろう。でも、少なくともあたしは、何かを考え、何かを感じ、それが今後長らく残りそうなのである。


そもそも(もともと)「映画のラストは観客がそれぞれにつければいい」に賛成である。言葉と音の交互の洪水におぼれる快楽。みえない世界に興味がある。実存の不安・世の不条理を思うことがある(この表現が正確かどうかはともかくとして)。ベケット。戦争。“お尻って、いろんな目にあうのね”。服の赤、波、砂浜、人の表情にうっとりする。そして、爆音が楽しくて(場面によっては不謹慎ですが)何度か大笑いしそうにもなった。そしてそして個人的には、観後感(造語したつもりが多用されているようだ)は、爽快。(トミゾは絵やストーリーが(だっけかな?)淋しい=荒涼としているというようなことをつぶやいた。)テーマは複雑さや重さをもっていると思うのだが、このあたしの爽快感はかなり生理的なものであり、リズムというかなんというか、芸術作品としての全体の美しさに触れたことからもくる快楽なのかもしれない。あたしなりに触れたテーマへの共感かもしれない。


などと、やはり何かを語りたくなる、これが、唯一無二たるゴダールの魅力なんだろうな。嗚呼、まんまと。悔しいぜ。3回券なら1回1,000円。
7月25日(水)→29日(日) 愛の世紀
7月30日(月)→8月3日(金) アワーミュージック
連日21:00スタートです。ご興味あれば、いつものあなたやときどきのあなたやそこのあなた、ご一緒しましょ。やっぱり終わってから語り合いたくはなってしまうであろうから(まったく異なる捉え方を互いにしていたりできる監督の作品は、そうはないでし)。1,150円ずつにして観ましょう。