あ〜長かった〜。。

4,000字を超えるとけっこう長丁場になる。400字詰め原稿用紙時代を考えれば10枚以上ですものね。ようやく1本上げたのでほっとした。夕方過ぎになんだかひたすら仕事をしようという気になって、裏を取るために図書館へ行くも、カードがない。から借りられない。仕方がないので資料を端から端まで何往復もあたり、その場でコピーを取ろうと考えた。その資料とは

全歌集全句集 (寺山修司コレクション)

全歌集全句集 (寺山修司コレクション)

たぶんコレ↑全歌集全句集: 寺山 修司。あたしは彼のロマンティシズムを愛しているのです。


ついでに気に入った作品をコピー。
『新・病草紙』より
眼球のうらがへる病
ある女、まなこ裏がへりて、外のこと見えずなりたり。瞑【の旧字】らむとすればするほどにおのが内のみ見え、胃や腸もあらはなる内蔵の暗闇、あはう鳥の鳴くこえゑのみきこゆ。
『季節が僕を連れ去ったあとに』僕の痛みがあつまって、日ざしのなかで小さな眠りになる夏のために(とゆう副題に惹かれて)
『砒素とブルース』
きみのいる刑務所とわがアパートを地中でつなぐ古きガス管
黒人に生れざるゆえあこがれき野生の汽罐車、オリーブ、河など
『煮ゆるジャム』
終電車がわれのブルース湯にひたす腿がしだいに熱くなる愛


で、これらを図書館で読んでいる間、「あたしに寝てる暇なんてない」となぜか強く思った。家仕事の際にはどうしても、脳みそにいってくれる糖分を欲する。炭水化物か甘い物。で、やっぱり疲れてしまう。休まずにいられるなら、野生の汽罐車が泊まる駅まで走り続けるのに。ちなみに最も気に入った「終電車がわれのブルース湯にひたす腿がしだいに熱くなる愛」をあたしなりに解釈。終電車に乗って帰ってきたら酔いは醒めてきたけれど、いつも抱えるブルース、生きる哀しみみてぇなやつも今夜だけは優しく溶けていくようだ。それは、湯船につかりながらあいつのことを思い出し、本能的・科学反応的に体がじんじん熱くなってくるからなんだぜ〜。場面が電車の場合にはまた別の解釈になります。いやまてよ。終電車だからこそ俺はあいつと乗り合わせたとかゆう可能性もあるな。でもどうしても愛の相手がこのときに目の前にいるとは思えないな。それはなぜなんだろう。終電車が女の比喩だとしたら? 俺に訪れた最後の愛のチャンス。まあいいや、今度気が向いたら調べてみようっと。みなさんはどう思います? では、おやすみなさいまし。今宵また。と「きぬぎぬの文」にも近い時間になりましたとさ。