Choo Choo Train

シャネルズだかラッツ&スターだかの歌、昨日ふと耳にしましたが、なかなかいいですね。
Choo Choo Train
Choo Choo Train posted by (C)lotus.eater


来月頭、高円寺に引っ越すことに決めました。渋谷で仕事をしようとしていたがネットがつながらず、ファイルの削除を試みてタイムリミット。電波干渉を制御しているのが原因?だとしたら、それでネットがつながらなくなるのもこわいことですね。オヤビと合流、hiki cafeにて腹ごなし。ユーロスペースのレイトへ。

低開発の記憶−メモリアス−
低開発の記憶−メモリアス−
監督:トマス・グティエレス・アレア
出演:セルヒオ・コリエリ、デイジーグラナドス
1968年/キューバ/DV/モノクロ/97分
配給=Action Inc.
革命からキューバ危機へ。
ドキュメンタリー映像を交え当時の社会を描く、これぞ、キューバ映画の原点!

1961年、ハバナ
カストロ社会主義宣言直後、煩わしい妻や両親が我先にとアメリカへ亡命するなか、小説を書くため、ひとりハバナに留まる資産家のセルヒオ(38)。
ヨーロッパを理想とし、キューバと人々を「低開発」だと傍観していた彼は、ミサイル危機へと向かう社会の中で、自らの崩壊を予見し、すがるように人生の記憶を辿り始める。

監督はキューバ映画で初めてアカデミー賞にノミネートされた「苺とチョコレート」の巨匠トマス・グティエレス・アレアカストロの「祖国か死か」の演説をはじめ、貴重なドキュメンタリー映像を織り込みながら、孤独な主人公セルヒオの目を通して、革命直後の世相、人々と街の様子を冷静な視点で描いている。

プエルトリコ出身のエニチオ・デル・トロが、ベストテンの1本にあげ、メキシコ出身のガエル・ガルシア・ベルナルは、2004年、ニューヨークのSOHO Houseで企画上映「Grand Classic」で、「人生で最も刺激を受けた1本」として自ら紹介するなど、ラテンアメリカを代表する名作として、今なお各国で上映され続けている。


えと、アメリカの過干渉があって、親米&独裁のバティスタ政権に対する、学生組織や左翼組織による反バティスタ運動が起こり、カストロ兄弟はメキシコに亡命、チェ・ゲバラカストロらの軍隊に加わり、革命軍の勝利があって、対米・親ソ→社会主義宣言へ。てのがキューバ革命で、キューバ危機は米ソ間の冷戦から陥りそうになった核戦争の危機のことですな(すげぇいいかげん!)。


この映画でアメリカに亡命していくブルジョアたちは資本主義経済の継続を求めた人々ですね。で、「低開発」とゆうのが女性のキャラクターにも、国についての表現としても用いられておるわけです。なんか、「革命といえども人の中身は(文化的には?)低開発、とゆう皮肉」とゆうやうな監督のお言葉などもあるようですが、やっぱり俺は「変化はあろうとも進化とはかぎらない」説に一票なので、うぅむと考えてしまった。あとは、歴史をみるにつけても、個人のエゴ、国家のエゴ、闘い、正義の闘いはあるのか、とゆうようなことを考えてはしまうんであった。非戦を唱えてなくなってしまった国に思いを馳せれば、防衛とゆうものについてもさまざまに。白旗をあげる者を攻撃するのが人間なんだよなぁ。あたしに歴史と理系の勉強をかいつまんでしてくれませんか。今更ですが。


ヘミングウェイの家が出てきますが、ホンモノですかねやっぱり。まあとにかくいろんな意味で身につまされる作品ではありました。人は社会の中にあり、その影響からは免れられず。中南米と東欧、そして、亡命とゆうものにも興味がある今日この頃。で、選挙の話などもしておったわけですが。つつましい生活、ささやかな喜び、って美しいですよね。それが守られることが大切なんですよね、きっと。それでも俺はふるえるやうなしやわせを求めるのですが。やはり、豊かな、美しい文化が生まれうる、そんな社会がよいのだと思いますですはい。ああ、それが「低開発」の対義語かもしれない。ともかく俺は無力なエゴイストですが。田舎のプレスリーですが(なんじゃそりゃ)。


映画自体は、少し奇妙で音楽が美しく、個人的には非常に好み、でした。


今日、電車で出た話が「アイボンマン」。アイボンを満たした水中眼鏡をつけめっぽう強いが、眼鏡をずらされてアイボンがこぼれると弱くなる。敵は乾燥にまつわる何か。これでゼブラーマン並みにレベルの高いヒーローもの(?)の映画が一本撮れそうな気がしたのだが、どなたか詳細をシナリオに!