『グレート・ギャツビー』村上訳と、ある物語(記憶の中の)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー』スコットフィッツジェラルド, Francis Scott Fitzgerald, 村上春樹訳を読了。あらすじはリンク先にお任せするとして、まずは、安部公房を個人的には彷彿とさせられた(日本語変やも)流麗(るれいと読むと思っていた。。)で美しい表現に酔いしれた。まずは、つか、これがすべてやも。ストーリーとしては、そうですねぇ、どうでしょうか。。デイジーの魅力は俺にはわからないし、ギャツビーの魅力が損なわれていくのが哀しくはあった。ちなみに英語が堪能で以前この作品を少しずつ翻訳してはあたしにメールで送ってくれていた彼女がいうには「これは村上春樹の作品」ということで、それはそういったものなのかもしれないと、本文を読んでもあとがきを読んでも思った次第。少なくとも彼の方の愛を感じ、『ロング・グットバイ』や、彼の訳ではないが、『カラマーゾフの兄弟』も読まんと思おたね。プチハルキストとしては。


 本日はスタジオをはしごして、計4時間バンド練習。音楽のすばらしいところは、やったらやっただけ応えてくれるところ特定のところまでは。その他、日々是修業で問題山積なのはいうまでもありませんが。


 先日、不意に思い出した話。
 あたしの知り合いでウェイターの男性が、ある日ホテルに併設されたレストランで働いていた日の出来事。高齢の女性が一人で訪れた。多少高級志向のこの店で、彼女はコース料理を2名分、さらにはワインのボトルにグラスを2つオーダーする。そしておもむろに、向かいの席に亡き夫と思われる男性の写真を置いた。彼女は楽しそうに夫の写真に話しかけながら、食事をしていた。もちろん2人前を平らげることができるはずはなく、夫の分にはほとんど箸つかフォークやナイフをつけることはなかった。
 食事を楽しんでいた女性だったが、突然泣き出した。それも、ぽろぽろというようなかわいらしいものではなく、号泣。声をわんわん上げて泣きつづけたんである。そして、ワインをがぶがぶと飲みほす。
 閉店時間になっても彼女は飲むのと泣くのがやむ様子はなかったが、店員の方々に促されて会計をどうにか済ませた。だが、腰からへなへなとくずおれ、まったく立てなくなった。明らかに飲みすぎなのだ。仕方なく、ホテルから車いすを借りて女性をそこに乗せ、彼はタクシーまで運んだという。。
 いかがですか? いい話だと思いません? あたしは人生の、この楽しくって哀しくって、どこか滑稽な側面を愛します。