ドラえもんの誕生日は

明後日9/3だそうです。新オープンの満喫1H100円とかで、ドラえもんを読みたい。俺が好きな道具は「ムード盛り上げ楽団」とか部屋をアスレチックコースにするやつとか家が動くやつとか、嫌いなのは「バイバイン」。あのラストには不安を覚えたものである。あと、ほしい食べ物が空気中の成分からできて出てくるやつ。こわい。


今日は作業を少々して書類を作成した後、銀行2件と郵便局、書店(もちろん南阿佐ヶ谷の書原)へ。秋雨を感じさせられる中わざわざ(?)駅前まで出てきたのだからと、Cafe Orangeへ。ランチ。サーモンサラダの丼を食べながら、資料の雑誌に目を通し、アレコレ練る。ここのBGMはおしゃれだが嫌みがなく、落ち着く。


生活を大事に楽しむこと、ゆっくりとていねいにするほど結果的に早くなる説等について考える。帰宅後にも作業をしていたが、心身ともにダウナー方向へ。やっぱりマラソンでさえスタートダッシュが必要で、ペース配分を考えるといつも失敗するあたしの辞書に「中庸」の文字はなく、犬かキャラバンの二者択一で両極に振り子のように行きすぎては戻りすぎるの極端さが向いているのかもしれない。


ドラえもんを観たら、ドラえもんが22世紀(!)に帰ってしまった。声優交代劇後に初めて観たのだが、観ているうちに違和感は薄れた。でも、なんとゆうかのび太のママの態度とかに、ドラえもん作品全体にドラミちゃん的優等生寄り偽善風味を感じはじめたりもしつつ。。結局は部分的に感動させられたりもしてしまったわけだが。


その後、ニュースで山谷のホスピスの特集を観る。キリスト教について考える。さらにはミュージックステーションをものすごく久しぶりに観て、昨今の流行について考える。女性ボーカリストには男性的なパワー、男性ボーカリストには透明感。女性のパワーアップと男性のロマンティシズム。たけしの誰でもピカソで「カモナ・マイ・ホーム」だっけ?は江利ちえみの歌であったことを知り、着メロをげととおもたが有料だったのでやめる。ワールドビジネスサテライトで新しい富裕層について考える。ジャガイモに塩マヨで電子レンジ。豆腐になめことみょうが、しょうゆとごま油、そこに微量のにがりとすし酢とワインビネガー。


深夜にサムネを作成。やっぱり片腹痛い。文字通り。


昔むかしのあたしは、机は板目にそっていないといやだった。机の上は定規で引いたようにノートと教科書が配置されていないといやだった。心が乱れるたびに自分の心の中で、そのうち周囲の友人に、「ヨーイドン!」とかいわせて、再スタートをこまめにはかった。月の変わり目には生まれ変わることを考えた。髪を切るたびに弱い心を断ち落とすことをイメージした。部活の準備は誰よりも早く終わらせて余裕をつくりたかったから、いつもぞうきんを準備する役目だった(剣道部だったので)。それをたぶん勘違いして評価されたせいもあって主将にされた。高校の同級生だった彼に妥協主義を刷り込まれた(「妥協の鬼」という言葉が辞書に加えられた)。迷ったら常に「とりあえずぷくいち」といって煙草を吸った。こうして理想主義だったにもかかわらず実力(?)が追いつかなかった幼少期から徐々に実力にかなう運命至上(といってこれも運命あれも運命と自分にいいきかせる妥協?)主義を身につけていったわけである。


ただし、今でも実現・実行するしないにかかわらず、計画を立てるのを比較的好む。それをまたチェックするのも長らくの習性とさえなっている。これが仕事に役立っている面もある(肝心なときに混乱していたりしないこともない)。洗い物をすれば周囲をビショビショにし、ぞうきんをしぼれば破ってしまい、がに股でサンダルを引きずっていたおとんの気性その他が俺に伝わっていると考えている。