共通する思想

最近、宗左近さんの書いた集英社新書の『小林一茶』を読んでます。「世の中は地獄の上の花見かな」が彼の句であったことを知り。「芭蕉や蕪村は言葉によって表現したことで自足します。」一茶は「個々の現象」を描くから、「作者の前には、また新たな感情の劇がおこってくるのです。」
生涯に二万句を残した一茶は、15歳にして故郷から追いやられるようにして江戸に出、俳諧を覚え、九州、四国、関西を遍歴。
「馬の屁に目覚て見れば飛ほたる(とぶほたる)」いったいどこでどんな状況で寝ていたのやら
「寒き夜や我身をわれが不寝番(ねずのばん)」「まんじりともできないでいるわたしをわたしが見守っているのです、まんじりともしないで。」
「ことしから丸もふけ也娑婆の空」
「目出度さもちう位也おらが春」
「日の本や金も子をうむ御代の春」
嗚呼、なんかヒリヒリとゆうよりは、自嘲。ペシミスティックなんだけど、自嘲。コレが、ものすごく好みなんですね、あたしにとって。
人間到処有青山
人間万事塞翁馬
Que sera sera(ケセラセラ
みたいな昨今のテーマや気分に力づよくマッチするわけだ!
(楽観と悲観のバランスがオイラのように崩れた人でないと、共感しづらいかも。)
なんとゆうか、自嘲からあふれてしまうのはもはやユーモア以外の何者でもないわけで。。まぁ、いいや。
で、いかんともしがたいから、俳句つくるしかない!わけっす!!嗚呼、かっこええ!!!
「春立や菰もかぶらず五十年(こももかぶらず〜)」