ご飯が炊けるまでのあいだ
開き直って日記を更新しようと思う。待たせ人には泣いてもらうしかない。
昨夜は仕事後に赤坂・国際交流基金フォーラムにて念願の第2回アラブ映画祭2006
http://www.jpf.go.jp/j/culture_j/topics/movie/arab2006.html
『長い旅』Le Grand Voyage ★★(日本初上映)
2004年/108分/カラー/モロッコ=仏
監督:イスマエル・フェルーキ
在仏モロッコ人の老人が、故郷をひと目見ようと、息子とともに長い旅に出る。様々なトラブルのなか、欧州から北アフリカまでの7カ国を走行していく、ロードムービーの傑作。
個人的には、アラブとは異なるのですが、イラン出身のAbbas Kiarostami(アッバス キアロスタミ)が好きで、なかでも『友だちのうちはどこ?』が好きで、『運動靴と赤い金魚』(マジッド・マジディ)が好きなよくいる人ですが。
『長い旅』もそうなんだけど、アラブ映画に共通するとあたしが勝手に思ってる「不条理」感みたいなのがなぜか好きなんですね。ひどい大人と純真無垢な子ども、みたいなわかりやすい構図をはじめ。んで、『長い旅』を観て確認したのは、あたしがなぜ「不条理」感を愛するのかといえば、それを超える「超ことわり」みたいなもんがこの世にはあるって思えるからなんですねと。
あとはこの映画はロードムービーとしても傑作で、人生のすべてがつまってる感じ。それを主人公の親子も口にしたりする場面があるわけですが。あるあるこんな感情のすれ違い、意見の対立、妥協点の見いだし方、つような。
ラストはかなりせつないんだけど。野崎さん(だっけ?)の宗教の写真とか好きなので、巡礼のシーンも興味深く、そして巡礼を飛行機ではなく車で行く理由を父が語る場面にあたしが旅に対して抱き、口にしているポリシー?がダブり、旅そのもののもつすばらしさとそれを課す巡礼の。。まあいいや、飯がたけた。
で、結局あたしは「超ことわり=愛」としか思えないわけで。「ことわり」は個人の主観でしかないのではないか、互いには信じがたい個人の常識や偏見なんて糞喰らえ。なわけで。上映後に拍手がわき起こっていたのは、作品の力ももちろんだが、関係者来日の旨がパンフに記載されていたからか。こういった映画祭は、客層も興味深いんだよね。あと、ダライ・ラマの講話、とかも。3/17〜の花街の女の映画特集も興味津々之介。
今日は赤坂見附のgalerie Cafeの打ち合わせで盛り上がって資料に買った
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『夢と現実の日々』Dreamy Visions ★(東京初上映)
2005年/103分/カラー/シリア
監督:ワーハ・アル=ラーヒブ
1982年、イスラエルのレバノン占領は、隣国シリアにも暗雲をもたらす。封建的な父親と対立する女子大生のジャミーレは、闘いに参加するため、家を抜け出して戦場に向かう。アル=ラーヒブ監督は女優としても活躍中。
アジアフォーカス・福岡映画祭2005出品作。
女性の激情シーン萌え(?)なあたしとしては、たまんない作品でした。感情はあふれだしてしまうものだと思っているから。こういった作品の興味深いところは、シリアの生活・現実が垣間見られるところ。日本でいうならば昭和20〜30年代的な思想のうえに'80〜90年代的な文化がのっかっていながらも、人そのものは現代。あと感じたのは、世界の現在60、70代とかの人々が死んでしまったら、地球は終わりじゃないか、夢も希望も薄く個人主義の我々ではとか世代論を思うのは、そういった台詞があったためだが。
をなごに生まれついてよかた。「悪夢は隷属の中のみにある」みたいな台詞があったが、不自由、隷属はまっぴら御免だ。幼少期のトラウマも、父親の支配も、彼女の正義感も、なにひとつ解決はしないのだけれど、転換があって、光が差して終わる。夢と現実とが交錯するその映像美。やっぱり愛がすべて。希望がすべて。それらが何かを少しずつだが変えていくのだ。
その後、御茶ノ水の山の上ホテル地下にてチーズのピザにマッシュルームをトッピングしてもらうなどして夕餉を挟みつつ仕事のお話。明日の夜も観たいね。