感受性のレベルがあがるとき

http://blogs.yahoo.co.jp/moons11dec
また書きました。


先ほど、高校時代の友人から携帯メールが届いて吃驚!
しかも入籍してるし!!
あたしの高校時代いちばんの親友は、亡くなっています。
でも、なにかにつけ想い出すし
そのつまりは元ご主人とも会うことがあります。


 今日も今日とて昨夜も友人に相談していた仕事のことでとうとうデザイナーに率直なメールを出して、電話ですべて聴いて、燃えたぎるハートでもってクライアントにメールを送り(土曜日なので)、その後のさらなるやりとりでデザイナーの気概を感じ、トラブル(どうやら直接の原因はまったくこちらにはないようなのですが)のおかげでデザイナーのことを理解し、またぜひ一緒に仕事をしたいと思えたのがうれしくて、本当によかったと思ったんですね。お互いなんか「腹を括る」つぅ表現を多用したりして。。たとえその後のクライアントのメールからは温度差を感じたのだとしても。。


 そんなきもちとか、昨今のいろんなこと(いいこととなんだけどあたしじしんはよくないつぅこともふくめて)もあってか、昨夜の続きで、ずっと「太陽コロゲテ46億年」を聴いては泣いていて、口ずさんでも涙がポロポロこぼれて、泣けて泣けて泣きじゃくってたんですね。
では、寒いので、「太陽コロゲテ46億年」の引用もそれを考慮して今夜は。。
雪の夜のダルジュロよ
闇夜の掟(よるのルール)を ナニモカニモ教えてくれ
すぐに教えてくれ


 この曲から想い出すのは、もちろん稲垣足穂と、宮澤賢治宮沢賢治)の『銀河鉄道の夜』(「みんなの本当の幸いのためになら 僕のからだなんか百ぺん焼かれたってかまわない」みたいな一節これも大好き)、あとは、谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』。日常から永遠へ、ここから宇宙の彼方へ、ミクロからマクロへ、それが自然と結びついている、ということばって、とっても好きなんですね。


 あがた森魚っちの『佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど』のほかの曲にも触れてみましょう(NHK教育だか先生だか風?)。
佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」
けがれてなんて どこもないのに
裸の胸の言葉吐き出して
こわしてしまいたかった
壁をたたいて
とおいどこかへ消えてしまいたかった夏

「九州のおばあさん」と「百合のお目覚め珊瑚の庭で」は、ゆるくってここちよくって
「球根観察日記」は不思議な曲で、
「億光年の岩で転げてる」
夜明けに 見上げてみたいなぁ
どれほどのわけもないけど
あなたと一緒にいれば 必ず 見えるから
億の遠くの億光年の光の
星座にさわりたい


 まあ、いいや。参加ミュージシャンも非常に興味深いです。で、「転げる(コロゲル)」てのは、「死ぬ」もしくは「生まれる」「生き(て)る」の意でたぶん使われてるんですね。この、「生と死」「エロスとタナトス」が一体となった表現に、あたしの身も焼かれとうなるわけっす(単なる思い入れのお話でした)。

 これから毎日、せめてごはんは炊こうと思う。
memoベートーヴェンの悲愴第2楽章