恋愛物語

 早い時間か遅い時間のいずれかに待ち合わせようと冨子を誘ったら、早い時間がいいと彼女はいう。寝不足の目を擦りながら身支度を整える僕に、一本の電話。急ぎの仕事らしいが、こちとら24時間たった一人のために待機しているわけじゃない。早々に電話を切り、最寄りの駅へと向かった。5分程度遅れる旨、冨子に携帯メールを入れる。彼女に会うのは、そんなに久方ぶりってわけでもない。
 指定のホームも方角も勘違いして、ようやく到着した僕を椅子に腰かけて待っていた彼女。出がけの電話に対する愚痴を、言い訳がましく僕は口にした。
 ホームに滑り込む電車はいつもと何ら変わらなくて、彼女の僕に対する反応や態度もいつも大して変わることはなくって、吊革に掴まったまま、近況を確認し合う。流れていく景色もいつもと同じ。
 電話のせいで乾かすことさえままならなかった洗い立ての頭が気になり、冨子を空いた席に座らせて荷物を持たせ、ちょちょいっと整える。悪あがきでしかないのだが。そして僕は、彼女の提案で何となく書いてみた未完の短編小説を渡した。「これはさあ、結局この彼女は、こういう彼のことが好きなんだよね」なんてことを口にする冨子。「いや、僕としてはさ、この彼に気づきがもたらされる、ってオチが理想なんだけど」といってはみたものの、いつもながらの冨子のいわゆる「天然」の鋭さに、驚かされるばかりだ。
 僕らはオレンジの中央線から神田で緑ラインの山手線に乗り換えて、新橋へと向かった。そこからゆりかもめに乗る。僕は最後尾を譲らず、自分でもらしくないなと苦笑しながら、はしゃいでしまう。無駄に曲がりくねり、景色は色を変える。都心にほど近いながら、まるで地方の観光地のように風景が横長になったり、今とここを見失うような唐突な風景が現れたりする。二人で会話を交わしながらも、目は窓外に釘づけだ。
 僕らのその日の目的地は、「恋愛を科学」した展示会場。いや、恋愛というよりは、繁殖の本能を動物、生物に学ぶ、といった趣である。だから、恋愛を掘り下げていない物足りなさがある半面、幅広い他愛ない知識や技術がとりこまれていて、これはこれなりに興味深かった。
 この会場以外の展示やショップも見て歩き、僕のなかの懐古主義か理系への憧れか、実験道具にどうしようもなく惹かれていた。ビーカーをグラスにしようか、フラスコを花瓶にしようかなどと考える。すでに僕はキーホルダーのルーペや、樹木内を流れる水音を聴くことができる聴診器などはもっているのだが。
 そして、台場方面に向かって、歩くことにする。何となく自殺に関する話題になり、冨子は、「最近はみんな、『死にたい』じゃなくって、『消えたい』なんだって」なんてことを口にする。僕は「死にたい」だって「消えたい」と同じなんじゃないのかといってみるが、なんとなくわかるような気もする。死ねばすべて終わるのではなく、死後への執着が逆説的にある、死んでまで人を捉えるエゴ。僕だったら、雪山で死んで雪解けとともにそのままの形で川をくだって発見されたいとか、死んだらちょんまげを結ってもらってみんなを気まずく笑わせたいとか思っているのも、エゴかもしれないが。
 僕らは、台場のショッピングセンター内にあるバリ料理店で昼食をとることにした。冨子は焼きそばのセット、僕は牛肉の一片一片を集めて辛く炒めたものにした。バリの人なのか、人懐こい店員が妙にフレンドリーな日本語を投げてくるのがおもしろかった。
 食後の茶の場所を求めながら、人工の浜に下りた。岩に腰かけていると、東京湾の悪臭にも慣れてくる。釣り人を眺めながら、今回の展示を振り返る。冨子が僕を誘った理由は、映画の新作として、結婚にまつわる男の心理について考えているからだという。でも彼女は、ハッピーエンドは描くことができないと話すのだ。僕はそれに対して、最近考えていることを少しだけ口にしてみた。人生でいちばん大切なものは、特定の異性、結婚相手、家族であると人にいわれたときにはわからなかったけれど、その後考えたことについて。恋愛感情について。理想について。「決心」という響きがネガティブに聴こえるだけではないかもしれないことについて。だけど、すべては確信からはあまりに遠かった。
 けれど、ひとつだけはっきりといえるかもしれないと思ったことは、僕はアンハッピーエンドが好きであるというわけではないということ。一般的にはアンハッピーと思われるかもしれないけれど、そこに僕が潔しとするような関係の変化なりがあれば、惹かれる、ただそれだけなのかもしれないということ。
 僕らがその場で答えを出せることなんて、いやもしかしたらこの先もずっと答えなんて出せることはない可能性がある。だから、こんなお台場の海に裸で入る子どもを眺めながら、人の多いほうへと移動した。
 僕の好きな「水上バス」の言葉を君が口にしたから、迷わず提案に乗ることにした。ガラガラの水上バスアメリカのバーのようなつくりで、ほんの数人を乗せて出航した。もったいなく感じる貧乏性は拭えないけれど、なんだか贅沢な気分を味わった。そこから日の出桟橋まで、20分、400円の贅沢である。
 僕は、冨子の横顔をちらっと盗み見た。
(つづく)