何をやっても癒されない作者: 春日武彦出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2003/05/19メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 5回この商品を含むブログ (12件) を見る

『何をやっても癒されない』精神科医 春日武彦

 すばらしかった。言葉の選択も好ましかった。彼自身が見える、これがあたしにとって大切だから。
クリッツバーグが提唱した役割理論(緒方明アダルトチルドレン共依存』)。これは非常にわかりやすく、合点がいき、自分も含めて誰がどれに該当するのかが明確に思い当たる。「1.家族英雄:勉強やスポーツなどに優れることによって、家族を惨めな者から救い出す役割を担う。2.道化者:家族の中で愛されるべき道化者として振る舞うことで、家族間の緊張を軽減させる役割を担う。3.なだめ役:家族間の調停者、世話役として甲斐甲斐しく働き過程を平和に保つ役割を担う。4.犠牲者:さながら陽動作戦のように、問題児となり一家の頭痛の種となることで家庭内の問題を棚上げさせる役割を担う。5.いなくなった人:家庭内で目立たず希薄な存在と化すことで、逆に家族の注意を自分へ引きつけ、結果として家庭内の結束を図る役割を担う。」
「ギャンブラーでもあった故・色川武大に『路上』という短編小説があって、『苦は苦でも一色ならず、耐えられぬ苦と、どうやら我慢出来る苦があるとすれば、座してどんな苦かわからぬものを待つよりも、先手を打って、こちらで自家製の苦を用意し……』といった一説がある。なかなか含蓄に富む。」
「実は治りかけの頃合いに、なぜか突然、多幸感というか至福感が頭の中へ訪れるのである。風邪が快方に向かって嬉しいといった当たり前な気持などではなく、およそ根拠などないのに『世の中、まんざら捨てたもんでもないかも……』と、ひどくハッピーな気分になってしまう。」
「通常の人間における想像力といううのはそんなに現実との境界があやふやなものではない。やってみたいという欲望と同時にそれをやってしまった自分をもイメージさせ、それがために本人に理性を促すだけの喚起力を、ちゃんと備えているものなのである。」
「心というものは噛みかけのガムみたいにねばねばしたもので、自分のガムと相手のガムとがくっつくと、いとも簡単に混ざり合ってしまい分離が難しくなり、むりに引き離そうと焦っているうちにますます混交してしまう(中略)心がぶつかりあう程にがっちりしていたら、それだけ自我が確立していることであろう。自他の区別がきちんと出来れば、安易に他人を恨んだり、つまらぬ嫉妬などはしない筈である。」
「相手の言動における苦手な要素は、実は自分自身にもまた潜在していることをわたしは直感しており、だからこそ嫌な気分にさせられるのである。いわば近親憎悪みたいなもので、そんなときにわたしと相手の心は混ざり合っている。それが生理的に我慢ならない。(中略)誰もが『ぶつかりあえる』ほどにがっちりとした精神を持っていたなら、世の中はビリヤードの試合のように単純明快なものとなることだろう。」
ドイツ『奇妙な瞬間』(ケーネマン=出版社名)
「しかし大概の精神症状には、本来はそれなりの効用が備わっていた筈なのである。(中略)では強迫的であることには何の効用があるのか?(改行)一説によると、心に潜む攻撃性を解き放たないようにするための無意識の自衛策なのだという。」
異臭恐怖みたいなものについて「見えざる臭いの粒子によって他人と自分とが関係性を持ってしまったことに対する不安のように思われた。すなわち、臭いの持つ直接性や生々しさを介して、自己の不全感とか自信のなさがクローズアップされているようなのである。」
貴志祐介『黒い家』先天性の嗅覚障害