今日

久方ぶりにうちのMacであるところのリキポン(黒のPowerBook G3=リキポン爺さん)が臍を曲げた。昨今、忙しさにかまけて+何でもかでも好きなものを詰め込んでいたからだろう。Macは毎日かまってあげればあまりすねることもなくなることが多いのだが(放っておくとすねやすいのだ)。仕事では使っているが、Windowsの親切をあまり好まない。
 MacのDoctorとあたしが勝手に決めている友人4人にHelp me!とメッセージを送った。そのうちの1人、上様からは、件名「祈れ」本文「しばらくは電源を切って念を送るべし。話しかけるのも効果的。それでもダメなら症状を教えて。」という返信が。
 でもって何度再起動を重ねても「システムが見当たらないよ」という顔が出てくるので、カミュさまやKbさまのアドヴァ椅子にも従って、OSのCD(-R)を探しまくった。こういったものは、すぐには出てこない。みんな黙ってるけど、誰だってそうだと思う。昔、部屋の中で保険証を失くし、電話のついでに親に言ったら、「部屋の縦を1からの数字の座標軸に、横をAからのアルファベットの座標軸にして、A-1から順番に探せ」と言われ、あたしのことを理解しているなぁと思ったものである。
 この時も今回も、この作戦で見つかった。一度探したところから出てきたりするのだ。四次元の世界に行っていたのだろう。そのついでに少しいらないものを出したり、せめてまったく同じことが起こったときに対処できるように、取説をまとめたりした。Nortonをかけてみたら、修復ファイルの多さに驚いた。それでも修復しきらなかった。
 それで思ったのは、せめて気づいたときに、気づく範囲でのありとあらゆる手を使って修復を試みなければいけないと思った。これは、Macに限らない。そうしなければ、大切なモノを失うことになるのだろうと思った。