『ピアニストを笑うな!』著:山下洋輔さん の覚え書きのつづきから。

最初
東京喧嘩 級友に喧嘩をふっかけられたことによって、失語症が治ったという話。


マオの出現「大道芸的な刃物研ぎ屋」


山笠体験


基準となるもの「人は日々違う存在になり得る。」


待ったの効用「『はははは、残念だね君。では殺させていただくよ』とばっさり終わらせるのは冷酷無比の情けなし男となるのか。しかし、相手に失敗をやり直させるのこそかえって失礼という考え方もある。」“


残るもの「基本には常に、まあ別に確固たる思想信条にもとづかなくてもいいから、とりあえずおれはこれをやる! と言い張る姿勢が肝心なのだった。」


シリアルママ「連続殺人鬼というシリアルマーダーをもじったもので、普通のママが気にくわない隣人をどんどん殺すというパロディー映画だ。」


唐津くんち幻想「乱暴に言えば、ある共同体の文化というのは子供に対する周囲の反応のことだと思う。」「集団での文化の伝承というものが祭の中にあると思うだけで心が安らぐ。」


においの記憶「こういう嗅覚の記憶を極めたのが、プルーストの『失われた時を求めて』という作品らしいが〜」


ジャズマン作家 ジャズミュージシャンから作家になった人 SF作家広瀬正 原寮


九州男児の定義 坂田さんが激論の後で「勝負というものは勝ち負けではない!」「〜悔しさが爆発して、脳内で言葉が入り乱れ、このセリフになったと思われる。」


遁走の最終回「一人でおれがおれだと言い張るしかない道と、実は自分は何者でもない、そのために自分をささげる対象があるならそれを教えてくれ、という願いのはざまに、人はいると思う。」


貧乏を真剣に受けとめられぬわが半生「肺病で血を吐きながら吹くような、トランペットの方がいたらたまらない。お世話をしたい」


海辺の夕暮れ、至福の蕎麦「蕎麦の香りを生かすには、結局、蕎麦の形にしてはいけないのではないでしょうか」


離れられない“同居人”「自分にとって最高の場所と時間はすでにあるという確信があるからかもしれない。すなわち音楽の瞬間。そこには音が道あふれインスピレーションが満ちあふれ超能力が飛び交う。」


私の食卓日記 「カンゾー先生」の音楽は山下さん。


林栄一と「モナ・リザ」の謎


NOMOがやってくる「そこで語られる梅田香子の言葉に我々は胸を打たれる。アメリカの何事かを愛し、それゆえにそこに住んでまでそのことを理解し、体験しようとする人間にしか言えない言葉だ。」


松井守男とオテル・ラ・ヴィラ「プレイバッハ」ジャック・ルーシェ(バッハ→ジャズ風にスイング→即興演奏)「どこにも属さずに屹立する人間の風格」


赤塚さんの存在の大きさ &谷岡ヤスジ 赤塚不二夫タモリを泊まらせて自分は事務所で寝たり、唐十郎の赤テントを当時百万円も出してプレゼントしていた「赤塚さんには人の面倒を見てしまう一面があり、それを公言しないシャイなところがある。」


筒井康隆のライブ感覚「筒井さんのライブ活動志向は、作家になるより前に役者をめざして修行をはじめた頃にはもうあったわけだが、それは子供のころにエノケンを見て、『ああなりたい』と思ったところから続いている意思なのだった。」「アフリカの爆弾」「ジャズとはリズムの連続で成り立つものだとも言えるからだ。」「バブリング創世記」「最近、動物学者の日高敏隆さんがリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』説を敷衍している記事を新聞で見た。最新の研究に寄ればどうやら人間も遺伝子の『乗り物』であると考えざるをえないようだ。例えば、戦争、恋愛。ほっておけば必ず人間はそういうことを始めるが、それはそうすることが必要だと遺伝子情報のなかに組み込まれているからだ。しかし、どんなに本を読んでもそれらのやりかたが上手くなることはない。そこから先は遺伝子に組み込まれていないらしいのだ。結局、人間は皆たとえば筋書きとして『ハムレット』を演ずるようにできているのであり、そこからのがれられない。それならば、どういうハムレットを演じるか、人それぞれが考えるべきだろう。」


梁石日ヤン・ソギル)さんとの不思議な時間「心の底に恥じらう少年を抱えた人なのだと思う。」「あの少年のような面影の奥に秘められている底知れぬ不良性をもっと知りたいと思うし、そうなったらどこまで連れて行かれるか分からないという不安の感覚もある。」「ファンキーな舌触りのする毒すれすれのもの、あるいは、どろどろとした熱いかたまりを飲み込まされる感覚をいつも持つ。それが甘美なのだ。」


アントニオ・カルロス・ジョビンは一人しかいなかった「ジャズはよく知らない。私は私の音楽をやってきただけです。」という言葉に至るまでの彼の思い。「若い時に見たイパネマの光景はその通りの詩の内容で今もこの人の中にある。ただ長い時間だけが経っている。その過ぎたすべての時間に起きた出来事が音となって立ちのぼってくるようだった。何物にも代えられない自分の世界だった。」「世間を超越した自分の才能と知性をもてあまして困惑する表情があった。それと同時になんとも言えない不良っぽさを発散している。」「『あのハーモニーはジャズのものだというが、同じものがすでにドビュッシーにある。ナインス・コードもイレブンス、サーティーンスの音もアメリカ人の発明だとはいえない。』(ジョビンの言葉です。)」「サウダーヂ」【(ポルトガル) saudade】昔のことをなつかしく思いだすこと。郷愁。「『僕の作品の八割は、ボサノヴァとはなんの関係もないものだ』」に至るまでの思い。「『メウ・アミーゴ・パラダイス』はバッハイデオムの曲だが、分散和音で弾かれるコードの最高音が常にサンバのリズムを奏でているという実に不思議なものだし、『バラに降る雨』は変拍子の挿入と、ジャズでは説明のつかないハーモニーと共に、フォーレの『夢のあと』のような美しい旋律に独特の肉声の動きが呼応する。『サーフボード』は、確信犯的一拍判フレーズの連続使用で極限までリズム感が試され、『ストーン・フラワー』はジャズに影響を受けたかのような出だしだが、バイヨン系のリズムにのって曲は次々と違う場面に進み、書かれたものをそのまま追うだけで、ものすごいスイング感が出現する完璧な構成を持っている。」「この感覚を真に理解するのは、ブラジルの感覚をもったギタリストでないと難しいだろう。」「揺るぎない構成と置き換えのきかない独特かつ厳密なハーモニー構造をもっている。」エレーナ・ジョビン『アントニオ・カルロス・ジョビン──ボサノヴァを創った男』青土社、1998年


以下の引用を、オヤビのコメントへのあたしなりの理解としてここに示す。30分後くらいにはうちにいらっしゃるかと思いますが。「ここにあるのは、決してブラジルという居場所を失わない、等身大の兄と妹の姿だ。(中略)それを通じて彼の音楽は世界に広まった。勿論喜びはあっただろう。と同時にアメリカ流に変えられていく自分の音楽に、作曲者なのに印税を払ってもらえなかった現実に、あるいは前述したジャズの優位性をとなえる雰囲気などなどに直面して、やがて彼はアメリカに対して、ジャズに対して、徐々に違和感を抱いていったのではないだろうか。これが、エコロジーへの生まれながらの関心と共に、アメリカが象徴する現代の世界のありかたへの批判にもつながっていくのは、彼にとってはまったく自然のことだった。」


「ジョビンが死ぬ直前までピアノの上におかれていた楽譜が『ゼア・ウィル・ネバー・ビー・アナザー・ユー』」だったが、「これらは、もともとは歌なのであり、」「考えてみれば、ジョビンの音楽はそのほとんどが歌なのだった。」