年の瀬の他愛ない一日のこと

 「いじめを受けていたことを覚えている。クラスでいじめないよう指導した」この言葉に、最も寒気を覚えた。


 年末も押し迫り、賀状の作成にようやく着手するも、僕の心はどうやら何かひとつ事に専念できるような状態ではなかった。そういった日々を多少なりとも方向づけてくれるのは、夜からの外出予定のみである。寒さにも暑さにも弱い変温動物の僕は、服を6枚も重ね着して渋谷へと向かった。着いてみれば冨蔵から遅れる旨メールが入っていたので、東口へと出る。そこで目に留まったDEAN & DELUCAの毒々しい緑色をしたドーナツとアメリカーノを口にしながら、駅の端の広場にて往来を見遣ることほんの10〜20分。そして僕は、どうすれば等身大に? そんなことばかりを考えていた。
 煙草をたて続けに吸いながら、煮立った珈琲に焼かれてベロベロになった上顎をむしる。その煮出されすぎた珈琲に内臓も焼かれ、東急の食品売り場を抜けたころには、血の気がひきはじめていた。朦朧とした意識を不快に眺めていたら、携帯電話に着信。いっこうに現れない彼女の行動を体調の悪いまま、さまざまに推測していたためか、花屋の前で待つ僕の視界に入った途端に謝る彼女に対する僕の第一声は、「これから君と渋谷で待ち合わせをするときには、ハチ公かモヤイにするよ」。
￿￿ そんな嫌味を言いながら、僕は冨蔵を目的地へと案内する。途中、彼女の手袋を片方奪って自分の手にはめ、「そっちより、こっちの手袋のほうが可愛いね。中身のせいかなぁ」などと、さらに他愛ない意地悪を口にし続ける。「多作」は思いの外、駅から近く、ライヴスペースというよりも流行りのダイニングバーを彷彿とさせる階段を下りて、受付に辿り着く。受付の女性は電話で場所案内をしており、用件が済んだらしいところで「本人には電話で伝えたのですが、大森です。予約に入ってますか?」と確認。特に難なく扉を開けて会場へ。すでにギターの音色が空間を包み込んでいる。フランスから来たManuel Bienvenuのひっそりとしたギターや饒舌であるが故に抑制されたような鍵盤、石井マサユキ氏のひしゃげたギターはベースの役割も担う。アコースティック向けの会場であるためかドラムスも抑えられており、そのせいかブラシを多用している。それが耳障りに感じるのは致し方ないのかもしれない。僕好みの変拍子ネオアコっぽいボーカルが被せられて、目を閉じれば心地よく酔える。やはり音楽でも文学でも人間でも、大切なのはこの歪みであると感じるのだ。
(つづく)