今日は

 朝から資料を出力し、昼から、赤坂→東中野護国寺と、打ち合わせ三昧であった。昼は東中野の道程のなかで迷わず吉牛。迷って牛鍋。

 仕事の仲間をきちんと尊重しようとする人に出会った。かなり年上の方が二人、だが。それに少し感動した。それなりの実績はあるけど、未体験の分野だから、助けを求めている人々。自分の都合やワガママやくだらねぇ計算に振り回されるのではなく、あたしのことを考えてくれること。あたしは常に約束したことなら、それは守ることを仕事においては課しているし、一度手を抜いたら手を抜く人として見られてしまうので、やれるだけやろうと思う。でも、対等な仲間として見てもらえないこともある。利用されるだけのこともある。実はこちらにあまり利点がないこともある。こういったことが続けば悲しいし、考え直そうと思う。尊重してくれる人というのは、あたしの能力を認めて理解して必要としてくれる人だと思えるから、とてもガンガロゥと思う。あと、大切なことは、自分の自由を死守したいなら、相手の自由を尊重する。どこに責任をもつか、からだ張れるか、だ。なんでこんなことばかり思うかといえば、いろんな仕事でいろんな人と組んだり交流したりが並行しているので、なんだかとても比較してしまうのだ。仕事の内容の面白さももちろんなんだけどね。あと、あたしと向いている方向がおおまかに同じ人とは、とてもスムーズに作業が進む。エンド・ユーザーのことと、自分らの楽しいキモチばっか考えてつくりたいひと。なんだかそうでないことも多いのは当然だが。あともう、自分が仲間や仕事を愛せるか愛せないかかも。

 まあ、いいや。たいしたことではないです。ただ、不快な思いは極力したくない。えらそうに書いた自分が恥ずかしい。本当は感謝ばっかしたい。明日のお仕事は、昨日とても気持ちよく楽しくやったのの続きからやもだから、ガンガレあたし。てゆか楽しめあたし。最悪の場合を常に想定して、なおかつ楽しめ(なんんとゆう悲観的な。。)。あの頃やあの頃やあの頃よりは、ずっと自由だ。夜、久々に神経性の胃腸の痛みが。。疲れてるんだから、ぐっすり眠れますように。。悪意と断定の呪いにかかってはいけない。やっぱり、この極端な打たれ弱さと打たれ強さのアンバランスには、慣れるしかないんだろう。一緒にいて、とても素直に反省ばかりしたくなる人といるときの自分は、なんだかとてもすきだ。まあ、のんびりやっていこう。ここまでのすべての内容をオフにしよう。こういったことを言い出すのは、感情が揺れているせいだ。諦めよう。キュウリのように、クールになるのだ。いつもの平日のように。