ロスジェネ感

 世代論だとか、なんだとか、ざっと輪切りにしてなにかをゆうことに多少の違和感はある。だけど今日、「嗚呼、やっぱりわたしはロスジェネなんだなー」とゆうような「わかってもらえない感」を抱いてしまったので、ほかに書きたいことや掲載したい写真などはあったが、とりいそぎ、書き留めておく。


 今日も、労働相談を受けるはずが悩み相談を受ける羽目におちいる話を聞いた(労働相談であるべき電話でお悩みの説明がはじまるわけだ)。運動に携わると特によくわかるのが、「弱者=マイノリティのつくられかたと、その無視のされかた」についてのことだ。はじめは自分はもちろんだがみんなもなんでこんなにコンプレックスやトラウマなどが運動のきっかけや原動力になってしまうのか、そうしたら個人の問題だと自己責任論をかぶせられるかっこうのチャンスを与えてしまうじゃないか、だから、個人的には楽しくってなんの悩みもないけど運動しているなぜならこの地球上のどこかに困っている人がいるからという当事者運動でない形でなければつけこまれるとも考えた(個人的には育った家庭環境・境遇やわたし自信の資質・性格、度重なる転職とその原因、現在のフリーランスという立場、出会った人々等がわたしを動かしていることはたしかだが)。
 だけど、同じようなことで押しつぶされそうになっている人があまりに多くいることがわかるにつれ、実は、カンタンに自己責任論に置き換えられることが可能な仕組みそれ自体が社会の仕組みの問題であることがわかっていく。


 だけどだけど、戦後を知るいちばん上の世代には甘いと言われ、その次の世代には同情はされるものの共感はされにくいような気がする。ちっぽけなプライドをぼろぼろに傷つけられるような働き方や生き方を余儀なくされ、無理するほどの生きる価値が見いだせず、幸福とは何であるかもわからない。だから、自尊心は(高いのに?)もろくって、状態や状況が悪くなれば、ひたすら逃げて逃げて逃げまくって、ゲームの世界やマンガの世界にひとときを忘れ、「餌」でしかない食事を本能のシグナルにしたがってしかたなしに口に運ぶ、もしくは過食や拒食に走る。愛し愛されたい。愛されたいのに愛されたらうざったくって、愛したいのに愛せなかったり表現がかなりいびつになったりする。そんなやまい。自分を守ることでせいいっぱいもしくは自分を邪険にすることでせいいっぱい。


 もちろん、いつでもどこでもこんなふうなわけじゃないし、誰もがそうってわけでもない。だけど、人にわかってもらえなかったという感覚が大きいほど、同世代ほどわかりあえる可能性が高いことを実感するほど、「嗚呼、やっぱりわたしはロスジェネなんだなー」という冒頭の感想を抱いて自覚するにいたるわけだ。本当は誰かや何かのせいにしたくない。自分の責任であれば、自分でどうにかできるから。でも、少なくともわたし以外の多くの人たちをみて、けっして彼らのせいだなんていえないぜって思う。


 今日も話していたのだけど、個人的には80年代よりよほど生きやすさを感じてる。中間層が落ちてきたからなんてゆう言い方もあるけど、たしかにわかりあえる仲間が増えてはいる。みんな、どうにか楽しんで、どうにか今日や明日をやりすごしたい。どうにか自分ばっかりじゃなくって誰かを助けてみたい。だけどもっともしっくりくる言葉は、「この平坦な戦場を生き延びること」(c. 岡崎京子)。平坦なばかりで、敵がみえない。茫漠とした風景のなか、さまようばかり。そこで血を流しながらでもどうにか生きながらえたい。生命力はゼロじゃない。そんな感じ。


 嗚呼、なんか暗いなー。暗いのはやだなー。でも、100回逃げても、この戦場の暗さから目を背けて進めないんだろうなー。だけどどうせ長生きしなくてもなー、それなのに生きながらえたい。どうせ死ぬんだから楽しみたい。生きたい。そんなぐるぐる。これだけわたしたちについて語られてなお理解されない、いつの世代も誰でもそうゆうものなのかもしれないけれど、それってちょっぴり悲しい。それでも生きる。生きたモン勝ちだとは思う。死んだモン負けぢゃないけど。そんなことを考えてる。人とつながってとにかく今日を生き延びることで、「ほんとうのこと」を少しずつでも知りたいと思う。永遠に自由を求めてあがきつづけたいとは思ってる。


 インディのでっかい獲得目標のイメージとしてわたし個人がかかげているのが、「誰もが生きたい場所で生きたいように生きられる社会の実現」てやつなんだけど、これは自己認識なんですよね。他者から「不自由そうに生きてるね」って思われても、本人がよければそれでいいわけです。メーデーで「人は生きるだけで迷惑をかけるものだ」という議論があって、そんな他者に寛容な社会。これは贅沢な目標じゃないよね。いつかみんなにふるえるやうなしやわせ感を。いえ、少なくとも生きていたいと誰もが感じられて、人権や生存権を侵害されない環境を。まあ、ときにうんざりしながらも、やれることをじみーにやるだけなんだけどね。


睡眠不足なので、ひとまず、つづく。。