官僚制の歴史

 先週の土曜日はバンドで、その後実家に帰り、東京に戻り、そして、ユニオンの会合に出、今日は三上師匠の憲法講座第四期シリーズ―日本の憲法制定過程について―(明治維新から大日本帝国憲法の制定 その壱)に出席し、飲み屋へ行って帰ってきた。権力・官僚〜昭和初期あたり関心があって、(下級であっても)武士→官僚という流れが大変興味深かった。とりあえずのWikipediaによれば、

幕府の御家人は100石(俵)取りであっても生活はかなり苦しかったと言われる。御家人は大都市の江戸に定住していたために常に都市の物価高に悩まされ、また諸藩では御家人と同じ程度の家禄を受けている微禄な藩士たちは給人地と呼ばれる農地を給付され、それを耕す半農生活で家計を支えることができたが、都市部の御家人にはそのような手段も取ることができなかったことが理由としてあげられる。窮乏した御家人たちは、内職を公然と行って家計を支えることが一般的であった。

ということで、ちょいと調べると実際、江戸の長屋の住人レベルの食生活、場合によっては江戸っ子の職人より収入が少ない武士もいたようなので、そうなると「士農工商」の身分制度ではいちばんうえなのに生活が苦しいってんだから、身分を手放すも抵抗はなかったということなのだろう。そう考えると、国家公務員制度改革に対して反発が強いのは、よほどあれやこれやの既得権益をもってるんでしょうね。&みなさんが有職読みをするのはやはり歴史上の偉人に対する敬意なんだろうかなどとも考えつつ。でもまあ、官僚制度はすなわちキャリアのシステム、それがずっと引き継がれていることが問題であって、そのもととしてはやはり憲法と同様ドイツからひっぱってこられたようで、それはなぜなのかとゆうのが疑問。やはり日本での統治に都合がよかったとゆうことであろうか。