読書その他

2008-10-26-sunについては後日。
『すばらしきアメリカ帝国』(ノーム・チョムスキー)、『原点が存在する』谷川雁読了メモはこちら。ラインナップがあまりに偏ってますけど、先日も「麻生太郎邸拝見ツアー」参加者3名不当逮捕らしいですね。総理や警察とのやりとりについての説明がありますが、まあたぶん対応した人とは別の警察官とかがやばいでしょ、となって、上に連絡したところなんかあったらまずいしこんなこと気軽に繰り返されたら面倒だから多少でも(見せしめに)つかまえとこう、って感じだったのではないかと。でも、マスコミの報道では、過激な若者、みたいにされちゃってますね。デモの定義が曖昧であるので難しいところだけれど、デモに出ると思うのは、警察はどうやら一般市民(?通行人?)を煽ると感じると焦るみたいですな。だからまあ、メッセージを伝えているのだから、しかもけっこう人が集まっているから、デモでしょ、という判断がなされるのかもしれないけど。でも(シャレじゃないけど)本当に平和的にやろうとしてたんだろうなとは思う。ただし記者会見からもわかるように、せっぱ詰まった真剣な背景があるようなものであったからこそ、おかみや官僚はあわてるんでしょう。今の社会に共感が広がっていて、影響力があるから。少なくともなくはないから。こんなにゆるくてしょぼい自作自演はないと思う。先日のデモでも、「俺たちは何十年にもわたって表現の自由というものを勝ち取ってきたのだから、10cmでも広がらなきゃダメだ」と言っている青年がいて、まああたしは歩いているうちにやっぱりいろいろ考えたり感じたり(いろいろまだまだ息苦しいな、とか)行動したりしなかったりしていたわけだけれど、終わってから話して確認したのは、「まずは、目的に向かって、対象に向かっていかなければいけない」ってこと。敵でもなんでもない雑魚の相手をしてケンカしてる場合じゃない。おっきなものに向かうために必要なメッセージを伝えていかなきゃいけないってことだ。じゃないと、今困ってる人がずっと困ったまんまになる。と思う。もちろん警察のすべてを否定することもありません。守ってくれることもなくはないし、近所の警察はゆるくっていろんな酔っぱらいの相手をしたりしてるし。(中略・自粛)まあここではそうゆうんじゃなくって社会のしくみを再確認したってことです。説明して理解させられるようなまともな理屈を持ち合わせていないことが多々あるってこと。1人くらい「話せばわかるだろうから話してスピーチはやめさせようよ」とか、どうしても心配なら「5人ずつならいいっていったけど、僕たちも念のため同行させてくれる?」とか民主的な選択肢を選ぶべきだと言う人はいないんだろうか。それで納得がいかないから実行するけどなんの危害も加えずに終わったらそれでいいじゃん。明らかな危害を万が一加えたら、そこで注意すればいいのでは? 政治家の門の前に近づいてはいけないなんて法律、いくら日本でもたしかなかったよね。。