10.17 善福寺川

 ストレスが少々たまっていて、どうしても善福寺川まで歩きたくなった。大雨の被害を緩和すべく工事中で、情報公開のための紙がたんまり貼ってあった。いっぱい歩いて一服してコーヒー牛乳を飲んだら落ち着いてきた。で、帰路へと向かったはずが、また善福寺川に出た。ありえない状況に東西南北がまったくわからなくなったので、携帯で場所を確認。環七に出て確認したら、どうやら善福寺川の90度に曲がるところで右往左往していたらしい。
 でもどう考えても?方向音痴のほうが得だと思う。だって、冒険する気なく常に冒険できるわけですからね。方向音痴でない人は冒険したくっても計算しちゃうでしょう。この世にはいろんな「2種類」に分けられる人がいる。まあとにかく2時間歩きまわってストレスはかなり軽減されていた。また歩こうと思う。
 ようやく仕事が一段落。でも明日からまた新たなお仕事。これが来月中旬くらいまでつづく。仕事が仕事を呼ぶのは全フリーランスの知るところであるが。春には4カ月も暇だったのに。で、お金に困ってたから大変ありがたいす。今まで景気に関する報道をみるたびに仕事が直で影響を受けていると感じていたのだが、今は景気が多少ましになってきているのかな。それとも道楽の種である出版物はいらないけど、企業への不信感を払拭するための広告は必要とされているってことかな。
 今夜の月は大きめだった。やっぱり忙しめのほうがいいかな。みなさんは何の秋をお過ごしで? 嗚呼、インド行きたい。呼んでる。
 ちなみに昨夜の「プロフェッショナル」柳家小三治師匠、については、観ながら自らを省みまくった。恥ずかしい。人として。落語が好きな理由の1つとして、江戸前の粋・いなせ、こざっぱりと、見えないところを大切にして、大きく出ない感じとかにあこがれることがあるのだと思う。「大きく出がち」だからこそ「自分を大きくみせない」ことを戒めている身としても、「大きく出る人」がいちばん苦手。小三治さんの繊細さやまじめさ、考えこみがちで、だからこそ涙が出るほど笑わせてくれちゃうところが好き。柳家喜多八さんも好きです。だけどいちばん好きなのはジャズピアニスト南博さんの噺。あのMCは落語であると思ってます! 来月初旬に3daysがあるので、久しぶりに2日間は行きたいなー。
 その後、沖縄の統合失調の方が集まるデイケアの番組を観ていた。「私たちのほうが(自分や人を)欺いている。(常にまっすぐな)彼らのほうが本来の普通」みたいな医師の意見に納得。でもあたしは強さがほしいと思ってる。あたしがほしい強さとは、ケツの穴のでかさである。ケツの穴のでかいじじいになりたいんである。