あたしがせかいでいちばんきょうふするもの。

 今日の仕事を終えて、NHK「100年インタビューセレクション『市川團十郎』」を観て。
 現在、落語について学んでいて、江戸時代のことを團十郎さんも同じようにおっしゃる。そこからのところにあった「無償の助け合いの精神」「日本の文化」。地球が小さくなった今、「無償の助け合い」が必要とされるであろうというお話。そして、「歌舞く」という言葉の説明の中で、「みんながあちらを向くならこちらを」というのが「歌舞く」である、という趣旨のお話を聞いていて、あたしは金子光晴の「おっとせい」を連想する。
 日本文化もまた(そのよきものが失われていくことへの)危機感を抱くということ。「みんながあちらを向くならこちらを」向きたくなる。行きすぎると戻ろうとする振り子。単なるへそ曲がりのあまのじゃく。もしくは大衆。
 ところで、白血病という大病後の「人生はオマケ」というお話も興味深い。
 ちなみに昨夜は坂本龍一で、明晩は山田洋次監督だそうです。ちなみに昨夜は樺太の戦争ドラマも観ました。


 何かと何かがつながっていると感じるのは、運命だと感じるのは、そこに意識が向いているからである。本を読んでいるとそこにいつも答えがあるような気がするのもまた同様。でも、流れ流れる。大切なことはいつも自分で選択できない。


 昨夜、幾度めか数え切れないが、昔付き合っていた高校の同級生との恋の夢を見た。あたしは特にこの人の夢を、見続けることを止めることができない。


 阿波踊りのプレ踊りの日に、5分前の商店街を抜けて仕事のために出掛けた。待機するみなさんの脇を通り過ぎながら、「それぞれの持ち場で生きる、それが人生だ」と思うた。團十郎さんは、「一生懸命生きれば悔いはない」とおっしゃっていた。


 個人的には、人に嫌われたりひどいめにあったり無視されたりすること以上に、あたしのなかの真実に近い何かみたいなものを曲げたりそこに目をつむることのほうがこわい。ような気がする。友人は、そこをわかってくれているように勝手に感じてる。まあだからいつもゆうようだけど、あたしはあんまり人にすすめられるようないい人間ではなくって、むしろあんまりよろしくない人間だと思う。そこがウリ。うれないけど。うれてるか。なんて。


 昔、高校の同級生に(また高校の同級生だがこれは女子)、「ときどきものすごくまっすぐなめをする」とかなんとかてがみでゆわれたことがある(たぶんわがやにあるノートのどれかにはってあるはず)。それはそのときまであんまりじぶんでしらなかったけれど、それをゆわれたときになんだかとてもはずかしくってうれしかったようなきがする。