水俣病

衛星映画劇場 水俣 −患者さんとその世界− 1971年・日本
BS2 7月6日(日) 午前0:35〜3:22(5日深夜)

水俣病を主題に数多くの作品を世に送り出し6月24日に死去した記録映画作家土本典昭氏の代表作を放送。1969年、水俣病の原因となった有機水銀を流した加害企業を相手に訴訟に踏み切った水俣病患者たち。その遺族の証言をもとに、患者たちの悲惨な実態と苦難の状況、そして埋もれていた潜在患者を発掘するに至るまでを描く。第1回世界環境映画祭グランプリ、ベルン映画祭銀賞など世界中で多くの賞を受賞した。

<作品情報>
〔製作〕高木隆太郎
〔監督・編集〕土本典昭
〔撮影〕大津幸四郎
〔編集〕関沢孝子
(1971年・日本)〔白黒/スタンダード・サイズ〕

3時間弱か。はじめて深く水俣病について理解できたような気がした。先日小学生の少年と学校の社会の授業に関する話になり、ちょうど水俣病について習っているといっていた。あたしは自分が小学生当時、恐怖感はあったが詳細はまったくよくわからなかったということを伝えた。
土本典昭氏に感謝。呼吸も忘れ、何度も強く息を吐き出しながら観てしまった。小児麻痺よりも身体的には軽い場合が多くとも、知能への影響の大きさは比較にならないほどであるようだった。なんの謝罪もない企業側に怒り以外に何を感じればよいというのであろう。つかみかかって17年間の「怨」をうったえる彼ら、彼女らの「正義」には一点の曇りもない。また、当時の市民運動学生運動なども、彼らを大きく後押ししたであろうこともわかった。自分はこの世界がこわれゆくそのはじめのときに生まれてしまったのだなぁと、ふと思った。そして現在、経済成長の弊害は、より巧妙なやり方で隠蔽されているのだ。
BS2は本当によい番組をよくやっている。その後の噺家の番組もあわせて観てしまった。
その後、調べ物をしていてわかりやすいサイトを見つけ、これは覚えておきたいなと思ったことは以下。ちなみにいまだつづく裁判もあるのですね。。


メディアの、特にマスコミの報道を常に鵜呑みにしやすい、などという状況に陥らないために

1959年に不知火海沿岸の漁民たちがチッソに排水停止を求めました。チッソが排水を停止しないので、漁民たちはチッソに押しかけて排水を停止させようとして大さわぎになりました。しかし、チッソは排水を止めなかったのです。そして漁民だけが暴力(ぼうりょく)をふるったとして、たくさんの人が警察(けいさつ)につかまりました。熊本県議会の中には「排水を停止すべきだ」という意見もありましたが、多くの議員はその意見に反対でした。この年にはチッソの排水が水俣病の原因であることは知られていましたが、国も排水を止めるようには命令しませんでした。そのために被害者は何倍にもふくれあがりました。


勇気を出して意志をもって動くために

裁判は被害者・かん者の気持ちだけではおこせませんし、勝てません。水俣チッソによって大きくなった町ですから、チッソに対して裁判をおこすことはとなり近所の人たちを敵にまわすことでもあるのです。ですから、かん者たちが裁判をおこすまでにずいぶんとなやみましたし、苦しみました。最後まで「裁判はいやだ」というかん者の方が多く、裁判をおこしたのは少数派のかん者でした。じっさい、裁判をおこしたとたんに近所の人があいさつもしてくれなくなったということもありました。