五感

が備わっているのは、生物学的にも危険を察知するためと思われる。そして特に、食物が腐っているかどうか、この場所が安全かどうかを臭いで判断することが少なくなった我々の嗅覚は、衰えていくと思われる。だからこそ、香りに懐かしい記憶を蘇らせるなど、嗅覚にはノスタルジックな感覚もともないやすいのではないだろうか。
 あたしは引っ越して半月のこの部屋が、築浅のためもあってか、建物のにおいが残っていて、自分のにおいがしない箇所があることが気にかかる。動物のマーキングによるなわばり主張のようなものであろうか。アロマキャンドルを焚く。香りのある洗剤を用いる。あと、部屋からよりもまずは自分の体から香りを立ち上らせるのも落ち着く。よくやるのは、あまりあわない乳液が大量に残っていて、髪のセットの際にそこにエッセンシャルオイルなどを混ぜて使う。また、本当に建物のにおいしかしないトイレには、小さな器に水を入れ、そこに使用済みのアロマキャンドルのかけらをちぎって小さな花びらのように浮かべ、ポプリオイルをたらしておく。夜には枕元にアロマポットを点ける。昔、香水をつけていたら、「その粉っぽい香り、いいね」といってくれた人がいて、そんな粉っぽく甘い香りやミント系やラベンダーのオイルが好きで、あれこれと活用しているだけなのではあるが。
 懐かしさを誘発されるのは他人の家から漂う夕餉のものであったりするが、記憶の中に強くとどまる香りといえば、恋愛がらみのそれである。昔、かなりのヘビースモーカーとつきあっていたときには、キスするたびにうんこの香りがすると思ったりした(「たび」とゆうのは大仰かもしれない)。それがいやではなかったのだから不思議なものだ。また、汗の発酵した、その動物的な香りが特に強くなる夏場に好んでわきを嗅がせてもらったりした男もいた。彼以外の体臭は嫌悪していたのであるから、愛故、ってやつかもしれない(お蔵だし)。
 いっぽう(何となくこの流れで人の名を連ねるのは失礼であるような感なきにしもあらずではあるが)、先日、高田漣さんの、弦はもちろんあの低い声が好きで、繰り返しCDを聴いている、と人に話したら、「女は低い声に感じるらしいよ」と言われた。演奏はDs芳垣さんつながりのライヴで初めてきちんと聴いたのだけれど、楽器の特性による好みに加え、その奏でる音色も歌声も心地よかった。
 先日、久方ぶりにGo There!のライヴを観に行き、みんなでさらなる高みへと幾度も上りつめ、南さんの鍵盤が美しくたゆたう中に身を任せた。死後には「最高に気持ちいい」と感じるという都市伝説?があるが、それをいかにして今生で体感することを重ねられるかに、今後の人生を賭けたいと本気で考える。
 閑話休題。嗅覚や聴覚の必要性が縮小し、視覚の必要性ばかりが拡大していくような気にさせられる現代、失われゆく感覚にこそ快楽がある。言い過ぎでしょうか。ちなみに個人的に最も重視しているのは、触覚です(聴覚の音の振動という面を含め)。谷川俊太郎さんは自分は視覚よりも聴覚的だとおっしゃっていますね。そういや、触覚の詩人と問わば、金子光晴ですね。ちなみに、私のアレは視覚と聴覚にもまして味覚の人で、胃ガンで死にました。骨を埋めるってやつですかね。ついでに、先日訪れた大原美術館とその界隈は、視覚の欲求を満たしてくれましたね。西洋・東洋・日本の絵画と彫刻、さらには(あたしはとても好きなのですが)民芸(工芸)までもが展示され、入館券1,000円で満喫できます。落ち着きのある作品の選択に対する共感。庭にはフランスはジヴェルニーから株分けされたモネの睡蓮も。婚礼衣装の新郎新婦が庭で記念撮影をしたりもしていましたよ。すてきな場所です。
 でもって、聴覚に贅沢な残りの夏を過ごしたい所存。とりあえずメタモ、行けるでしょうか?

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