01-21再会

 あたしが正社員として働いた3社目(会社としてはたぶん4社目、フリーランスも経て)の会社。さまざまな闘いにややうしろむきになりつつも立ち向かっていた。ツキチくんはデザイナーで、センスはあると思っていた。当時からエディトリアル・デザインに興味があると語り(そのわりにQuarkも使えなかったわけだが)、こんな雑誌や本を見ていると教えてくれたりしていた(本人はまったく覚えていなかった)。彼は今、ロンドンの日本の企業で働いており、シェアの一室に彼女と暮らしながら、葛藤しつつ貧乏でも夢のある暮らしを楽しんでいるようであった。「この業界では、日本一になっても世界一にはなれない」と考えてロンドンへ向かったそうだ(現在はそうとばかりはいえないとは思うのだが)。そんな話を日本に帰国していた彼から、新宿末広亭前「どん底」で聞いていた。興味深い構造の、いい店だが、窓際は比較的寒いので冬はご注意を。世界一ってなんだろ? 世界一愛される何か、ってことかな? だったらそれもいいな。でも、広く、より、深く、のほうがいいな。とりあえずチャンスがあったら仕事をふるよと伝え、5年くらいたたないともう帰ってこないといってた。今回ご出席がかなわなかった方々、ぜひヤロップへ行きましょう?! どうさんにお金を借りてしまった。ダメ人間だ。
 ところで俺はよいデザインとは、伝えたいことを伝えるものであって、そのためには、写真も文字原稿もデザインもすべてが相まって効果を生み出さなければならんと思うわけなんである。文字原稿がある場合、文字はダメだがデザインはすばらしいとか、デザインはダメだが文字原稿はすばらしいとかゆうのはあんまり有り得ないような気がするんである。否、あるだろうけど、どっちかだけがよくっても伝わんないと思う、ちゅうことである。整ってるだけじゃダメ。猥雑なメッセージは猥雑さを引き立てるデザインでなければならない。プロダクトは究極の機能性が伴っていなければならない。さて、どうお考えになります?