新卒時の会社

 においては、入社時の希望が突然のできちゃった社内結婚による欠員補充にまわされて部署が変わった。制作の予定で入社したが、営業の部署にまわされた。東京の同期、あとの3人は全員デザイナーだった。「同期4人の女でチームを作ろう」という夢もあった。そこは、京都本社と東京支店にしかない新規開拓の部署で、営業も企画が重視されたり、ラッピングコーディネーターを兼任して展示会や店頭のサンプルづくり、指導、新商品の企画などにも携わり興味深い面もあった。しかし、ある日九州男児の課長の「女の子はそこまでやらんでもええんや」という言葉に幻滅。無我夢中でやることで生きてきた俺にとって、「やるな」という言葉には混乱させられた。それが自分でも思いのほか長らくストレスになっていた。疲労度の高い毎日に、楽しみは昼食のみ(外出時の営業手当が1,900円ついた)、連日、夕食はコンビニのおむすびとサラダだった(同期の子は、夏にはアイスばっかり食べていた。もちろん夕食を口にせず。その子は、毎朝途中の駅で降りて、いつでもやめられるようにと定期を買わない主義だったが、結局誰よりも長くそこに勤めた。ちなみに、全国の同期は研修時にともに過ごしたこともあり、その後も仲がよかったし、今でもつきあいがつづいている人もいる)。化粧を落とさず服もそのままで寝た日も多かった。
 そんな日々の楽しみはほかに2つ。1つは週末に急に、同じ会社の借り上げのアパート(寮)に住む同期の子を誘って、近所のディズニーランドなどに足を運ぶこと。もう1つは、帰宅時、駅前の書店に立ち寄ること。俺はいつも、書店で癒されてきた。書店にいるだけで、ぽっかり空いた穴が多少なりとも満たされるのだ。それは、「まだまだこんなに自分の知らないことがある」とか、「みんな同じ気持ちなんだな」と友人と語るときに感じるのと同じ思いであったりが、俺を癒すのかもしれない。
 そして今夜も、映画と、書店と、ルノアールの店員さんの笑顔になだめられて、遠回りの帰り道、ココロがシーンと静まりかえるのだった。
 ちなみにこの課長の言葉で今とても役立っているのが、「仕事は放っておけばなくなっていく」。仕事に隙間ができれば、新規開拓や企画の持ち込み、既存客への連絡等を行うように心がけている。営業を経験しておいたのも、フリーランスになった今となれば、とても役に立っている。次回は、この時代の先輩について(予定は未定)。
淡路島の坂の上からの眺め2
淡路島の坂の上からの眺め2 posted from フォト蔵


 それではみなさま、よきれんきうをお過ごしくださいまし。2006年の秋を感じましょう。同じ空の下で。