2006-07-22-sat結婚パーティー

 洗濯して支度して、麻布十番へ。結婚パーティー。先週末に出席したの地元の元バイト仲間の結婚式でも顔を合わせたメンツと再び。主役は別ですが。仲間同士でつるんでひたすら食べてしゃべる。豆源にも立寄、さらに三次会へ。「ジャスミンの花開く 茉莉花開」への感想ともあわせ、いまだに結婚てよくわからん。したことないし。友人がみんな遊んでくれなくなったらさびしくなるのは確かだが、当分は大丈夫そうだし。でも、人のはいい。昔、同棲するための物件探しにつきあい、母親の料理を教え込まれそうになり、姪っ子に何度も会ってつうことがあり、子どももおばちゃんも好きだけど、問題はその彼のことを好きじゃなかったと思うことにある。だけど、子どもをつくろうとされつづけてもまあいいやどうにでもなれって思ってた。山口瞳に「女が男にカラダを委せるというときには、愛よりも、やっぱり“勝手ニシヤガレ”という気持のほうが強いのだろうと思う。」ちゅう一文があったが、まさにそんときゃそうだった。本当にできなくてよかった。と今は思う。あたしの当時抱いていた論理は、「思い上がったエゴイスティックで酷い話(詳細はあまりにも悪魔的で、自分でも人としてどうかと思うので伏せておきます)」だったわけだが。でもある意味、“勝手ニシヤガレ”てのは、愛かもしれん。「もし」は、ないんだけどね。「愛着」とか「情」とかはあった。それは、恋愛感情よりも、ときとして大事なのかもしれない(人と人とをつなぎとめるために、とか)。どうでしょ?