昨日のつづき。

山下清は脱走してはいろんなところを旅して、いろんな人にご飯をもらって、いろんな絵を描いたのですね。でも最後には、もう脱走しない約束文を書かされるのです。


あとは、袖すりあったご夫婦イチオシのみたらしだんごを食べ、陣屋(お代官さまのお屋敷)を観て時代劇は詳しくはないが、拷問とみずまわりは普遍的に興味深きものであり。さんざ高山を堪能して満足したのでホテルへ。和食が混んでいたのでTVのアメリカの音楽授賞式を観てうつらうつらしながら待った中華。そして待望の温泉、夜に地下、朝に1階の温泉に入り、朝食のバイキングで久々の洋食を選んでたべ、出発。


この度のこの旅のメインエベント白川郷。朝一のバスが満席と言われ、次まで喫茶店で生苺ミルクと砂の女で時間をつぶす。


バス内で聴く音楽が効くのは昔からなんだけど、なんでこんなにも、BO GUMBOS『あこがれの地へ』にズキュンとやられてしまうのか、繰り返し聴く。
山下清は、どんとは天才なのか、守られただけなのかなんて話は専門家に任せて。大垣出身のどんとCDチョイスはナイスに結びついた!つう気がした。で、あたしみたな凡がペース配分して生きてる場合ぢゃないと、突っ走りたいとなんとはなしに決心?したんであった。


今『砂の女』を読んでいたら、白川郷の存在や自分の境遇が重なり出した気がした。文化は頭の中の特定の場所と結びつきやすい。


白川郷をわりと隅々まで歩き回った。有料施設を含め。あたしが感嘆したのは、平家の落武者が身を隠した場所が現代世界遺産となって世界中の人を集めているというJH広告のコピーと、現在も民宿や売店のみならず普通に生活している人がいること。開村(閉村ともいえるかもしれない)時の人々の思い。
つづく