しつこくつづき。

「そこで精神科医としては伝家の宝刀である『あなただけが特別ではない』といった話を持ち出す。(中略)しかし本当は数多くの他人も同じ気分を秘かに覚えているといった話で、何となく納得した気分になっていくのはまぎれもない事実である。」
「で、わたしはここに述べたような落下傘花火とへび花火の思い出を語った。(中略)『先生、それは昼行灯ってことですな』(改行)わたしは面食らった。昼行灯という言葉は、ぼんやりしていてどこか間抜けで無能な人物を指す筈だったのではなかったか。」
与太話。
「もしかすると、同病相憐れむような雰囲気のもと、『指さし呼称』だとかマジナイだとかについて、マニア同士の情報交換さながらの会話で盛り上がるかもしれない。」
煙草煎餅。
「そのような人たちは、自分の特性や得意分野といったものをあえて無視して、わざわざ土産物界の瓦煎餅を志しているようなものである。瓦煎餅のような人材は、便利ではあっても、いくらでも取り替えが利く。オールマイティー幻想は捨てたほうが賢明」
「そこで策に窮した挙げ句、メモ用紙に伝えたいことを書いて相手に見せ、自信たっぷりに頷いてから紙と鉛筆を渡してみた。(中略)筆談が成立したとき、わたしは人間ひとりずつが孤島であるといったイメージを、より強く感じる。」
「明るいことが物理的にも精神的にも良いことであるといった前提で展開されていくような世界は、愚かな世界である。暗いことをいかがわしさとか陰湿さとか拒絶といった文脈でしか捉えられないような世界は、たんに頭が悪いだけである。」
「すなわち、所詮は代替可能な部品に過ぎないといった無力感とか、自分の仕事ぶりに低い評価しか与えられないことに対する虚しさとか、軽く見なされているがための腹立ちとか、そういった王道ならざる道を歩んでいるがゆえの僻みが、あの電球の二流さ加減と重なってくるのである。(中略)むしろ首でも吊っている気分だったのかもしれない」
「あの頼りない気分やだるさ、普段と感覚が違ってしまったり眠かったりといった症状には不思議な魅力を覚える。(中略)諸々の不調に対して、わたしは元気溌剌となって心機一転仕事に取り組みたいといった前向きな姿勢よりもむしろ、何の責任もノルマもない状態で『風邪をひいた人』となって家に引きこもることを夢想するのである。」
「父子揃って瓜二つの光景が頭の中に浮かんでいることは確実なのであり、その一体感は記憶術を会得した誇らしさと共に幼いわたしを有頂天にしていた。(中略)けれども一介の精神科医として働いている現在において、目の前の患者さんの気持を理解し共感しようと努めるとき、父と同じ光景を共有し得たあの体験はひとつの自信としてわたしを支えてくれるように思えるのである。」
「女性の統合失調症患者の妄想の中に、なぜか岸恵子が登場する機会に三度ばかりわたしは出くわしている。(中略)すなわち天皇であるとかフリーメーソン、秘密結社、CIAなどといった存在を好む。その秘密めいた不可解さと影響力とのブレンド具合が、患者の内面に広がる妄想気分にすんなりマッチするようなのである。」パリに住んでフランス人と結婚していた、アラン・ドロンと付き合いがあった、そんな岸恵子。女性ウケがいい。
漫画、山田芳裕作品集『泣く男』双葉社
「顔には奥行きがある。それは造形としての奥行きではなく、その人物に関する情報や来歴、出会いの状況、会話によって生ずるリアクションといったものの総体である。我々は奥行きを実感しつつ相手の顔の中に物語を読み取っていく。」
「人間という存在はしぶといのか脆弱なのか、いつも我々は戸惑わざるを得ない。(中略)エネルギーといった点に関して言うなら、おそらく精神的な視野狭窄といったものが自殺の前提になるだろう。(中略)精神は自殺というピンホールにエネルギーを傾注し得る。(中略)精神的な視野狭窄状態は、似たような気持、似たような境遇に置かれた者同士が集まると、より強調される。」「安堵感」「仲間意識」三人の同業種の男性社長が集団自殺(業界の傾き→保険金で)
リスト・カットは「『わたしに注目して欲しい』『わたしを軽く見ないで欲しい』『わたしは現在の生活が耐え難い』といったメッセージが込められている。(中略)覚悟を決めても、死に至るまで延々とクスリを飲み下していくのはまことに面倒かつ根気を要する作業なのである。」
「もっと正直に言ってしまえば、『どうしてあなたは今もまだしぶとく生きているのだ? うっとうしいから、迷惑だから、さっさと死んでしまってくれ』と言い放ちたくなる気分をわたしに起こさせるがゆえに、不気味なのである。(中略)ひょっとしたら死を弄びたがるような人たちが潜在的に増加しているのではないかといった危惧のほうが、わたしには切実なのである。」
「クローン人間はオリジナル人間に対して、せいぜいできの悪いカリカチュアか、もしかするときわめておぞましい陰画としてしか存在しないことが殆どであるに違いない。」「『発病せずに済んだ一卵性双生児の片割れ』であるかのような気分」「なぜなら、わたしが運良く回避し得た『運命の地雷』を今度こそ踏みつけてしまう可能性を、きわめて具体的に思い描かずにはいられないからである。」
ドッペルゲンガー(自己像幻視)「『あ、これはわたし自身だ』と直感する、そのような強烈な確信が伴うことのほうが重要であるらしい。」
「にもかかわらずクローン人間は、おそらく誇大妄想か安っぽい好奇心か馬鹿げたナルチシズムか安直な懐古趣味を裏付けとして生命を吹き込まれるのである。それはグロテスクである。俗悪で生々しい。人生に対する懐疑や謙虚さをまったく欠いた精神から産み出された怪物でしかない。」
講演会やカラオケについて。「そうでなければ、自分が対峙している虚ろな空間にどぎまぎするばかりである。」
「『どぎついもの』と『とりとめのないもの』、残忍さと『分かりやすい優しさ』、過剰と欠落──こうした対立するものが、融合したり和解することなく共存しているのが現代社会であるといった印象を、わたしは抱いている。(中略)解離は、融合とか和解、根本的解決や現実直視といったものとは正反対の立場にある。不連続であり、突飛である。刹那的で、往々にして相手を絶句させる。解離は、ときにイノセントに、ときにふてぶてしく、ときにキッチュに映る。」
「(歯や爪などが描かれた奇妙にリアルで)グロテスクなサザエさんと、アニメの登場人物のような殺人犯、その双方を自然で当たり前なものとして感受出来るような形に、我々の心がいつしか適合していくだけのことである。それ以上に話でもなければ、それ以下の話でもない。」─完─
入力していて、春日武彦氏の言葉選びや感性、わかりやすい文章などの美しさを体感してしまった。


日曜日の夕刊

日曜日の夕刊

日曜日の夕刊
重松 清 (著)

チマ男とガサ子
桜桃忌の恋人
セプテンバー’81
後藤を待ちながら
を読み返した。ページをめくらせる筆力。芸。