TVっ娘。

 昼間は仕事をしていたのだけど、夜はかなり久々に、テレビばかり観ていた。順位をつける(格付け)番組で、光浦靖子が泣いていた。彼女の顔が好きだと話す外国人のビジネスマンに対して。「結婚するなら、自分の顔を好きだと言ってくれる人、と決めていた」とか「運命って意外なところからくるんだと思った」とか言って泣いていた。のに、その彼には彼女がいるということで、ロンブーのアツシが慰めつつ、光浦の恋人募集と相成った。「光浦の涙を無駄にしたら許さない!」と言い放った飯島愛はたとえ芝居がかっていようともかっこよかった。
 その後、ニュースを観ていて、その後、NHK教育の『視点・論点』の「男らしさ」を求めることが自殺に追い込む話を聞いていて、またニュースを観ていたら、昨年ネット自殺をした男子高校生2人の39通のメールのやりとりを公開していた。彼らは、「自分は暗くて醜い」とか「死んだほうが、みんなのためにも自分のためにもいい」って言ってた。
 それに対する大人の意見とかを聞いていて、やっぱりどこかみんな忘れてしまうのか知らないのか、と思った。シニタイと思ってる瞬間を反らし続けることは可能だけど、チャンスがあったら死にたい人は死にたいのだ。だから、ネットで出会った人がお膳立てしてくれることで敷居が低くなるのもあるにはあると思うけれど、それよりも、やっぱり1人で死ぬより誰かが一緒に死んでくれるほうが、少しでも楽で、少しでも簡単なんだ。そこで出会った人と理解し合えても、彼らの日常は変わらない、受けた傷は変わらないのだ。
 あたしはどちらかといえば人間があまり好きではないのかもしれないけれど、眠っている人(c.Fishmans)、死んだ人は無条件に好きだし、罪はないと思っている。だからといって死ぬことをすすめもしなければ、自分も生き残ってきた、そしてこれからも生き続けることを信じて疑っていないけれど。自殺した人の本当の気持ちはわかるはずもないけれど。
 自分を責めてしまう人は好きだ。もうこれはスキキライの問題でしかないけれど。そういう人に生きてほしい。そういう人に生きてもらうには、どうしたらいいんだろうね。できることなんてあるんでしょうか。打たれ弱くて、些細なディスコミュニケーションに凹んでしまう日々だけど。くだらなさを積み重ねるだけの日々だけど。
 あたしが最も興味があるのは、誤解を恐れずに言えば、1人ひとりの人間の普遍的な中身に抱える問題について、です。なんというか、根本的に浄化されるということはありますよね。やっぱりでも、自分が自分を救うのって大変だから。アレしかないわけですアレ。