『人よ、寛(ゆるや)かなれ』金子光晴

 読了。『詩人もどき』より「詩人もどきの話をすると、心のやさしいその友達は、「いまは、ほんものの詩人よりも、詩人もどきのほうが、幅がきくかもしれないよ」と言ったが、「いいえ、君は、詩人の本筋で、もどきなんかではない」とは言ってくれなかった。」、【朴念仁】無口で愛想のない人。ものわかりの悪い人。←memo、『日本回帰』になるほどと膝を拍ちつつ、『ニヒルの伝統』より「道の道とすべきは、つねの道にあらず」(『老子』のなかに「道の道とすべきは常の道にあらず」という言葉がある。真の道は絶対不変の固定した道ではない、という意味である。この思想の根底にあるのは、万物は流転する、これが宇宙の根本原則だという考え方。人間はこの変化のなかに身を投じ自然と一体化すべきだ、そこに自由の境地が開かれると老子は説いているのである。http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/kaku1-12.HTML )、『四面みな敵』なぞにも密かに共感を覚えつつ、『年齢』より「もうシャッポだ。」(シャッポ 1 [(フランス)を脱(ぬ)・ぐ 降参する。兜(かぶと)を脱ぐ。)「晩年になると、死んでもそれほどおしくない心境になるのだから、自然もなかなかおつにできている。」『爺さん罷り通る』より「白秋大人のうゑまぜて、しをりよろしき秋ぐさの、花のさかりをみてあそぶなり」という歌、調べてもわからなかった。北原白秋ですわなあ?「フェリシアン・ロップ」は、さすがエロおやぢだ。『七十六歳の心境』「私のやっている詩という仕事も一言にして言えば、この世の美をさがし出すということにつきる。」なぞ。