人の役に立つ山師

 今年の年初の目標に「人の役に立つ山師になる」なんてことを掲げていた際には、「山師」の具体的なイメージをもたなかった。
 それが、最近になって、徐々にイメージできてきた。そのために必要なものがなんであるかが。
 1つ目には、「はったり」。山師ですからね。忍者はったりくん。嗚呼、だじゃればかりが浮かんでは消えていく。これはまぁ、元来大言壮語の病を抱えているので、素質はあるとして、そのためには実際、影の努力と実績とが必要であると常々考えている。この努力ってやつが食わせもん?で、苦手分野なのだが。ただし、「期待される素質」みたいなものにつながるはったりはやっぱり重要。がっかりされるほうが得意ですけれど。期待されるのも好きではないわけだけれどね。まあ、人に育てたいとはどうやら思われやすく、何かをたくされやすかったりはする。未熟さやアラが目立つからだろうけど、これはきっと、贈り物なのだから、大切にしたほうがいいんだろう。
 で、努力が苦手なため、2つ目に必要なもの、それは、「ネットワーク」。おかげさまで、周囲に助けられて今がある。だから今、何か相談などを持ちかけられたときに、具体的に紹介したり相談したりできる先がある。本当にありがたいことである。
 そして3つ目に、「山をはるためのターゲット」。これがないと、山師になれない。これを今、つきつめているところ、なのかな。


 「人の役に立つ」なんてのはたいそうなアレではなくって、これはよく例に出すのだが、幼少期にいとこの中で父方でも母方でも一番の年長であったわたしは、いとこどもを集めて、遊びを考えて、ぎゃんぎゃん遊ぶのが大好きだった。すると、帰り際に、いとこどもは、「帰ってほしくない」と泣き出すのだ。これが、しびれるほどの喜びであって、それから30年を経て今もなお、「帰ってほしくない」と泣いてくれる人を探し求めてさまよっているのだと思う。まあ、そんな人はいないわけだが。
 だから、「人の役に立つ」というか、まあ、楽しんで、喜んでほしいのだと思う。一緒に楽しみ、喜びたいのだと。
 これがなかったら、孤独癖一辺倒の人間になっていただろう。なのでまあ、お気軽になんかご相談とかください。現在、1つひとつあたってます。わたしは非力ですが、周囲には腕のいい山師をとりそろえております。


 とまあ、10月も終盤にさしかかり、ふと考えたわけである。なんか急に、自分のなかで、エネルギーのバランスが変わってきた。たぶん、破滅型躁鬱気質なので、急に、鬱気味から躁気味へと反転したのだろう。これは大変あぶないので、気をつけなければならない。


 ちなみに、ゲバラ映画を今年だか観た折、革命家の資質とは、「愛されること」ではないかと考えたことも思い出した。愛される素質。そして、深く広く愛する素質。こっちはほしいね。革命家なんてたいそうなものを目指していないわけだが。プチ革命家、てのはどうだろう? 日々、小さな壁を壊しつづける人。これはむしろものすごい実力者を指すのかもしれない。


 おお、寝なばこの日が吹っ飛ぶ。人を待っていたわけでなく、仕事をしていただけなのだが↓
 やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな  赤染衛門