5年くらい前のこと。

すし塚@築地

 Hさんという70前くらいの年の方と知り合った。それは、当時出入りしていた職場であった。同僚と、職場の中でどの殿方がいちばん好みかという話になるたびに、あたしはHさんの名前をあげていた。
 Hさんは、いつもおだやかで、飄々としていた。みんなが手を焼いていたHさんと同年代の上司の扱いも、長いつきあいから上手であったが、「そんなに仲がよかったわけじゃないよ」と冗談交じりにいっていたものだ。
 その上司はHさんとの思い出として闘争の話などをしており、Hさんは、やはり当時から一匹狼だったが、けっこう最前線(?)に立って活躍していたのだなどと、あたしに聞かせてくれた。
 HさんはHさんで戦争時代に防空壕に逃げた話や、出身地である九州にいたころには保存の技術がまだ発達しておらず、魚といえば干物であった、という話などをしてくれた。
 Hさんの湯呑み茶碗には珈琲のあとが残っており、それをあたしに教えてくれる同僚もいたが、このままのほうが珈琲の味わいが深いにちがいないと、あたしは思ったりしていた。また、Hさんはよく長方形の大きなおむすびをもってきていた。あたしはよくそれをもらっていた。作り方をたずねると、海苔と残りご飯をラップに敷き、鮭などの具を入れて、あとはラップを巻いて四角くととのえるだけであるという。とても美味しかった。
 Hさんの奥さんは、餅を喉に詰まらせてなくなったのだと、誰かから聞いた。それで、そのときには、Hさんと息子さんの2人暮らしであった。
 Hさんとは昼食をともにすることもあり、食後に喫茶店で珈琲を飲んでいるとHさんのお知り合いがいて、彼はからかわれていたりした。それが照れくさくうれしそうなのが、あたしはうれしかった。
 八王子のほうの小さな山にのぼり、天辺の古いが広い建物の、囲炉裏があるような鳥料理やで、食べたことのない野鳥の丸焼きなどを食べたことがあった。神代植物園に行ったときには、彼はプラムか何かの果物をもってきてくれて、蓮池のたもとでしゃぶりついて汁をしたたらせたこともあった。深大寺に行ったのは、あたしは多分そのときがはじめてで、野草の天麩羅などをいただいた。以来、深大寺は、都内でもあたしがもっとも愛する場所のひとつになっている。
 あたしがその職場を離れてからずいぶん経つが、その後連絡を1度とったくらいで、まったくご無沙汰している。Hさんは、お元気だろうか。


 写真は昨日いった築地にあった、「すし塚」。魚介の霊がまつってある。海老塚や玉子塚、雌雄の獅子舞(雌はお歯黒)もあった神社。青空という名の屋台で有名で人気らしい炙り丼を食べ、カマス浅蜊を購入した。2階の住居含め、戦前の建物であり、空襲などの被害を受けずに残ったものだろうとのこと(歴史は苦手)。独身のじさまに、今日から上に住もうといわれた。60代以上にはモテルのである。中の市場にも入ってみたが、外を含め、やはり午後イチくらいまでですべて閉まってしまうのだな。次回は早起きできればなぁ。
 その後、銀座まで歩き、神保町にもある壹なんたら珈琲店に入ったら、奥にVIPルームがあった。