重い仕事の合間に

moons11dec2005-05-26

『マンハッタン自殺未遂常習犯』
草間彌生草間弥生
とうとう読了。

スバラシイです。もともと目黒川沿い弥太郎さんのカウ・ブックスで大判の古書を見つけ、ほしかったけど7〜8千円もしたので見送ったものを、書庫から文庫探してもってきました。フロイトさんらに聞けばもともと通院があらゆる作品よりも先だったわけでいくらでも精神分析しながらトラウマをたどったりできるんだろうけど、んなこたどぉでもいいんです。この神に近い天才がN.Y.という新天地で繰り広げた60年代のワンダーランド(不思議の国、にルビうって。中上健次の解説文より。)(ハプニングという名の、作品とヤクとゲイ乱交パーティー、日本人の青年をレイプさせちゃったりとか。。のはちゃめちゃな物語)! 事実を追究する必要さえありません、この自由でのびのびした文体と、彼女のまんまの表現を目で追えば、自分にとっての真実はわかります。ちょっとスカトロに行きすぎてグロさに辟易するところもあるんだけど、何にせよ、小さな箱に閉じこめられない、閉じこめられたくない感じに、大いに共感。ごく親しい周囲を除いたところを世間とか社会と呼ぶならば、そこからの視線に日々恐怖を感じ、はみ出さないように、恥ずかしいことをしないように、普通に溶けこめるようにといった努力?つか心労?つか妄想?を日々抱いては喘ぎ、「自由の羽を奪わないでくれ!!」なぞと口走ってさらにアウトサイダー道を直走る、というほど外れることもなく比較的無難に自分が比較的得意とすることに必死でしがみつきながら、少数の味方に縋る。そんなあたしをはじめとするごく平凡な小市民を勇気づける、バイブルとして、一家に一台ぜひどぞ。彌生、愛してる。
 自分の裸に見とれ、勿体ないから近所の少年集めて、見せたりする。親に、いらない子だといわれる。
「こんなくだらないエスタブリッシュのダラク精神きいたことないわ。アレ『人類才能殺し賞』というのよ。」「岩角にぶっつけた黒アザ、さもしい、大金山さがしの乞食や浮浪者にまた立ちかえろうよ。そして、ナンニモナカッタってね!」「身も心も荒廃の健康美あびて、太陽の下で、ファックしようよ。これでもともとだ。」
「わたしは天下の浮浪者でいたい。額縁とカンバスをブーツでケっとばしてしまいたい。アメリカの美術館がわたしに賞くれるというの、ことわってしまったの。だって、太陽も、月も、木星も、わたしに賞をくれていたのに、地球までくれるんですって! もう、一杯で、あきあきなの、おき場所ないわ。」
「芸術が一つのスクールや、思想や、アイデア作ったとき、そのとき、既にそのアートは死んでいる、輝いているのは、生れ出る前の、子宮の中だけよ。子宮から出て、外の汚れた空気すったときに、アートはみんな、死産児にしかみえないなんて。ほんとよ。太陽だって、現れる前だけさ。星だってきらめく前だけが美しいだけだ。」
「接吻、禁断の木の実のように生々しいらしい。時計は止まってしまったのね。このまま眠りに入っていきたい。永遠に体しびれたまま。体中の赤い血、停止してしまって。だけれども、眠りより、死はなお、すばらしい。もっと、一番、すてきだったことは、もちろん、生れてこなかったことよ。ギター取りだして、ロック奏でながら抱きあう。男同士の抱擁は激しく。」
「芸術家になるなんていやらしいわあ。滑稽すぎて、手に汗にぎっちゃうわぁ。」「わたしが絵をかいたのは、芸術家になるためでなくって、困った病気、不安神経症強迫神経症や偏執狂が原因。同じ映像がいくつもいくつも押しよせてくる恐怖、(中略)ブツブツが見えると、この魂が、フワフワと体からでていってしまう。そのこと、スケッチブックにいつもかいてた、描いて、しっかり見てみないと、わたしは失神してしまう。」
「反体制の旗じるしの素材を、自分の創造の栄養に使うことは重大な時代をのりきるポイント。わたしの水玉教会が、最前衛をきって マンハッタンの山を踏み分けのぼってみせよう。あらゆる知恵しぼって、反陣営のタイトルをかかげなくてはならない。病の体で山にのぼり、社会を発見しよう。新しい大衆を発見したい。それは新しい時代、未来をつくることなの。未来、体ごとぶつけて、先どりすること。この事で手段えらぶつもりはないわ。たとえ摩天楼のてっぺんからとびおりてさえも。私は未来のステージ・メーカーなんだ。即ち地球にサインすることなんだ。『クサマ』って。宇宙の向こうがわから。」
「芸術家というのは、どこの世界でも古来からスケベエにできている。美術学校でも知能テストに『セックス何点』というのが新設されているという。もちろん、臭覚、視覚、触覚の感度のことでしょうな。」
「世界初めてのハダカの街頭進出、パブリックでの乱交。街頭でのファック。欧米ではじめてのパブリック・ベッドインやシースルー・ドレス、乱交服、ホモ・ドレス、すべて時代の新しい波は、わたしのところで出発した。ヨーコ・レノンのアムステルダム反戦ベッドインより前のことだ。日本の前衛劇団も、わたしのようなことをやったが何年もこれよりはるか後。」
「でも危機一髪で逃げおおせたわたしって大好きよ。ステージの銀のライトあびたステキなわたしが、そこにある。」「わたしはワタシよ! ショーはショーよ。知っちゃいないわ。」
「死ととなりあわせで、反復して。わたしを強迫する、オブセッショナル観念。」「得体のしれないわたしの病気を、わたしはクリエイトして、わたしの病気をなおしてゆく。」『わたしはわたしの死に至るまで、丁度、おわりのないハイウェイをドライブしつづけるかのようにおもう。きっと、自動式のカフェテリアで出される数千杯のコーヒーを飲みつづけるような──。』『わたしが希(のぞ)もうと希むまいと、わたしの生涯の終りの日まで、ありとあらゆる感覚と、ヴィジョンを欲望し、同時に逃避しつづけるつもりだ』「わたしは生存をやめることもできない。また、死からにげることもできない、このものうい、生の重さ。生存の持続の意識は、ときどきわたしを気狂いにまでおいつめようとしてくる。」
「心の病いは、芸術よりも強く、愛よりも強い。自我よりも壮大である。これが、わたしの生涯のテーマであった。病いは死よりも強いというのが、結論であった。自殺未遂を何回もして、病いをおどかしてやりたいの。」「わたしの死、見にきてね。まちがいなく、死は赤い血を、白くメタモルフォーズしてしまうはずの『白の約束』よ。約束するわ。」「生まれてこなければ良かったわ。」
「自殺未遂デモンストレーションのハプニング。自殺完遂しないで、いつも『未遂』でいなくてはいけない美学。」暗闇に閉じこめられつづけたころのこと。
イタリア風レストランの町なみの二階にアーティストが安いとおもって住みついたのがヴィレッジ、そこからソーホーに移動、「エスタブリッシュを前にしては、どこまで、つづくぬかるみぞなの。アーチスト新開地はいつも、有名になると、たちまち、上町のきまぐれ金持おばあさんたちに占領されてしまう。アノ人たち、ドブネズミの大ファンなの。」


解説より
「女性は、奥深くで焦点があっているようなシャム猫のようなブルーのかかった瞳をしていた。(中略)硝子が震えるような声で、言葉が次ぎつぎと湧いて出る、イメージが次々とわいてでる、と訴えかけるように言う。」60年代芸術、フリージャズ、「ジョン・コルトレーンヴィレッジバンガードでのジャムセッション」「コードとはここでは音を音として認知する耳、つまり、音を言語化してしまう耳の事だ。言語化しない自由なジャズは、耳の向こうにある。」「男らの性に関してはありとあらゆる言葉があらわれるというのに、女の性を言う言葉は少なく、草間彌生は女でありながら自分を女衒の位置においているし、さらに自分のヰタ・セクスアリスに関してかくしているという事である。」自分の性を否定していたので、ね。
年譜より
「少女期 子供の頃から物体のまわりにオーロラが見え、植物や動物の声が聞こえる。幼児より強迫的常同パターン(レペティション、アキュミレイション・ビジョン)が眼前をオオって掩って出現、その幻視作品を数多く制作、自然界の背後から強烈な啓示をうける。」


てなわけで、彼女自身があの強烈な作品をも超えてしまうのはなぜかがわかったような気がします。今、快くありがたい電話があり、久方ぶりに胸躍るような気持ちになりました。今日は勇気を出して?懸念事項を処理しに2駅ほど先まで行ってまいります。結果は追ってお知らせいたします。昨夜は自由が丘のベーグル屋が新橋に出店していたのでそれを買い、荻窪ルミネでおいしいチーズを2種買って、塗って食べました。写真は昨日、あたたかい場所を陣取って昼寝していたネコズです。おしまい。