1/28fri人びとと話していて

ほんのちょっとほめられたり評価されることを超求めている話をされて、あたしはいかに等身大で生きられるかを勝負してるのにといったら「そうだろうね(アアあなたはねなニュアンスで)」といわれ、このわかりあえない無力感かもしくは自分がイキガッテるだけやもしれないという気持ちにさせられる焦燥感だかに押しつぶされる。あんなにその気にさせられてたのに。躁から鬱へいくと、ダメージが大きいのだよダメージがいやあたしがすべて悪いんだけどさワガママだから。でもこの自分勝手なブルーを連れて東京駅で乗り換えようとしたら乗り換えホームが見つからず、子どものようにぐずりそうな気持ち寸前に。そこでホームが見つかり、とにかく阿佐ヶ谷へ。で、映画の時間まで少しあるので、念願の「夜の午睡」へ。貸し切り状態。ネコマンマとチャイ。思ったほど本が大杉たり偏ったりしすぎていなくてよく、読んでいたのは

運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)

運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)

で、タイトルに覚え蟻な心境だたので。ラ・ロシュフコーは1613〜1680パリ生まれの貴族で、「女性に入れ込み、その度に銃弾にまみれるという生き様は、まさにフランスの『ドンキホーテ』」などと書かれている。銃弾にまみれるて?!当日のmemoによれば、「われわれは、人とつき合う場合、長所より、短所のせいで気に入られる。」「人間の弱さ、これが人間にとって直しようのない、唯一の欠点なのだ。」「時として、人は、他人と別人であるのと同じくらい、自分自身とも別人になる。」「われわれは、希望という奴に一杯食わされどうしだが、それでもやっぱりこれに案内されて、楽しい道を歩み、人生の終点にたどりつく。」で172番まで読んだらしい。こんな文章ばかりをメモしていたのは打ちのめされていたからであったが、またもやオヤビがピントはずれの電話謝罪攻撃を開始し、あたしはホントに気にしてなかったから、微笑ましく癒されてしまった。で、サイレントの映像に子どもがたくさん出ていたので尋ねたら小津だそうで、後から1人お客様もいらっしゃったので、店を出てラピュタへと向かう。会員になってみた。『愛と誠』は端ッからあり得ない演出の数々にニヤニヤ笑いがとまらない映画であったが、けっこうみんなは笑ってるけどあたしはガツンとヤラレたりもしていた。ストーリーもまあ筋が通ってる。愛と誠の愛もすばらしいんだけど、何と云ってもいわしみずくんの愛は極上にして最も純粋。脇役に弱いんだってば。で、念願のラストシーンにも鳥肌。ヒデキすてきでしたよすんげ生意気だけど痛さがあるワル役、はまってました。早乙女愛もそそられますし。先輩方もキャラクターの多面性を自然に表現してました。終わったら後ろの女の子たちが、「ヒデキかっこよかったね」「自分ちみたいな感じで観てた人が多かったね(ラフに笑い声を上げたりしてたから)」とかいってた。あたしはブルーの欠片もすべて消え失せて、コワイモノなんて何もないつー強い心をもってして、夜空を眺めながら家路へ。

昼寝もしたけど、そろそろ眠いので〆ます。供与見始めたブコウスキーおもしろいす。カレのを読むのは学生の頃以来ですたぶん。昔の日記を読んだら質問で終わらせたりしていた日もあったので、なんか質問しようかにゃ。えと、「じらされまくった後のロマティックなカタルシス」もしくは「どきどきわくわく」もしくは「わかりあえない無力感」もしくは「コワイモノなんて何もない」もしくは「最近ヤラレた文化的な何か」もしくは「おすすめのブコウスキー」いずれかのテーマでコメントをどぞ。いや、ムリ爺はしませんがね。独り言だっていいんだけどね、どうせ自家中毒。お!メルチェキしたら、独りで勝手に森山新宿荒木展に行った人がっ!!!3月までやってんだろうから、また行くてのはど?あと、ブルートレインのラストが九州方面なので、長崎と福岡に、可能であれば島に行けたらいいのだがなにせ。。(以下略)