泣くのはいやだ 笑っちゃおう 進めー!

 本当に、情報が集まれば集まるほど、いまはたらくひとの環境はめちゃくちゃでびっくりする。特に界隈のフリーランスでユニオンメンバーでない仲間などは、みんな言わずとしれたおなじみの泣き寝入り。やる気があったら相談してくれって毎日いってます。


 だけど、最先端?の昨今できたユニオンのメンバーはみんなとっても元気。あんまりにもひどい状況に、自分を責めつづけたモラトリアムな自分探しのころより、むしろ楽になったのかもしれない。インディユニオンのキャッチコピーに、「もう、泣かない!」ってつけようって話になって、それいいねーって笑いあった。これでぜひ1冊書きたいところ。


 正社員の雇用にまで影響していくだろうってことなんて2008年にわかってたけど止まらなかった。これからは特に、ここちよい距離でのたすけあいがカギ。誰かを踏み台にしようとするなら、自らの墓穴を掘るだろう。誰かを助けようとする人ほど、救われていくはずだ。とゆうか、誰かと一緒に助かろうとすれば、ってことかもしれない。


 去年の年初はほんとうに泣いてたけど、たぶんもうだいじょうぶ。きみも、おいらも。


丸い地球の 水平線に
何かがきっと 待っている
苦しいことも あるだろさ
悲しいことも あるだろさ
だけど ぼくらは くじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう
進めー!
井上ひさし山元護久作詞「ひょっこりひょうたん島」)

病み上がりにユンケル

飲んで仕事なんかしてるばあいぢゃねぇ〜っ!!!


BGMはiTunesシャッフルなわけだが
この歌詞はすばらしいね。
目の前でおとなしく○○してる脳内で
うずまいてる欲望がたまらない。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B08684


ところで先日今サラ「男女7人」にはまっていたのだが

ここんとこの最初のシーンがいちばんすきです。
けれど、とおしてみないと感動はないのかも。。


さあて、何時間やっても終わらないやつをやっつけねば。。

iPad発売と印税70%に思う「てんぷく情勢」

とうとうiPadの発売が決まりましたね。楽しみです。
ずっと待ち望んでいたのですが、電子書籍への対応については
ここまで踏み込まれることを予想していませんでした。


米アマゾンの印税70%について書き手として考えるとき
これはもう本当にチャンスなどとのんきなことは言ってられないなと。
淘汰されないためには、制作スキルだけでなく、やはり
営業・企画力がものを言うようになってくるでしょうね。
これは出版業界だけの話ではないでしょう。


現在、制作チームをつくって、毎週企画会議をおこなっています。
「くれくれ」でなく、自分があげられるものをさしだして
それをシェアしあえる仲間に声がけしています。
コンテンツだけでなく仕組みについてもわたしたちが主導権を握り
クライアントも巻き込んで、みんなでこれを楽しもうと思ってます。


てんぷく情勢?があらゆるところに。
このジャングルをかきわけて先頭を行けたらおもしろそうです。

委員長のケーキ

moons11dec2010-01-21

インディユニオン「フリーランスのサバイバル術vol.3裁判所活用法」の研究会終了後、新年会&委員長誕生会。


写真は高円寺イチ人気のケーキショップのもの。


仲間と本気と書いてマジで研究会をするのも、他愛ない話をするのも、今のわたしにはこのうえない癒しになることを実感。こいつらといると、あがるぜ。特に、人に対してフラットな目線がもて、サービス精神と話のおもしろさ(これは才能と言っていいかもしれないが)がふんだんにあってそれがあふれる、尽くすタイプ?のいい人の存在に安らぎを感じるなぁ。。


わたしがエゴイストなので、そうでない人から学びたい=もらいたいから興味があるのかも。だって普通に「あなたのためだから」は「自分のため」で別によかったりすることもありますもんね。そんなCMあったよな。。


ああ、いろんなこと言ってますが、本当に気がだいぶ晴れた。みんな、ありがとう。


ところで先日、まったく無関係のしらべものの最中ふと「ファミマ入店音」にはまった。わたしは相当遅れをとっていると思うが、万が一ご存じない方は検索してみて。なんかみんなすげえな、と、ひたすら感心。人を触発するそのエネルギーてのは、宇宙の果ての果ての果てからくるんだろう。

「誰か 味見をしてみな 踊りたい」

 過労になるたびに親知らずが痛くなると、打ち合わせついでに話したら、それは根拠のあることだといわれた。
 いちばん大事な歯は犬歯で、神経が上のほうまで通っている。で、次に大事なのが臼歯で、各4本の神経とつながっているんだとか。で、親知らずもたぶん過労になると、触れる神経が過敏になるのだろうといわれた。だもんだから、多忙のピークを過ぎるたびに、わたしは親知らずを抜いている。


 先日、野菜市でみていただいた占いでも、また、周囲のアドバイスによっても、どうやらわたしはこれから2年のあいだに、いろんな意味で「絞り込み」をすべきであるらしい。たしかに風呂敷広げすぎた。
 わたしがほしい言葉は、「愛してる」だとか「好き」だとかではなく、「もうやらなくていいよ」とか「一緒にやりたい」とか「あとは任せて!」なんだとおもう今日この頃。評価があったうえでの。疲れているのかもしれない。


 (再び)先日、深夜、近所で、黒いダウンジャケットを着てスクーターに乗った2人の青年?が、下り方向をみて、路上に倒れ込んだ。すると、もう1人、同様の格好をした青年が現れた。どうやらこれから3人でどこかに行くらしい。ああ、なんかいいなぁ、とおもった。


 昔、そう、あれは最初の会社を2年半足らずで退職した際、同期のデザイナーがくれた長い手紙の最後に、「これからもできるだけ近くにいようね」。うれしかった。


 さらに大昔、あれは中学卒業時、「なんか字、変わったね、とか悲しいから、手紙とか書くね」といわれた。その後何度か交流したが、このわたしのあこがれだった同級生とは結局、疎遠になってしまった。


 しばらく前。下書きにとっていた内容。
恐山の院代、南直哉さんのブログより

思うに、仏教は(仏教を含む)あらゆる立場や考えの相対性を認めた上で、「絶対確実な根拠」を持たぬまま、ある一つの立場(仏教者なら無常と無我の考え)を選ぶべきだと、勧めているのです。この決断(私に言わせれば、賭け=「信」)こそが、ニヒリズムの向こう側に出る営為でしょう。


 ところでわたしが賭けている立場、ではないかもしれないが、の一つに「似たような生き方をしていれば、また会える」という再会夢想があって、先日、わたしはたぶん2〜3年ぶりくらいでとある人に再会した。「共通の知人がいっぱいいるから、絶対、近いうちに会うだろうと思ってたよ」と言ったら、その人は、わたしの記憶のなか以上におずおずと、小さな声で、たどたどしくしゃべりながら、当時と同じ名でわたしを呼んだ。わたしは呼べなかったが、次の機会が与えられれば、呼んでみようかなとも思う。まったくあたらしく、しょたいめんどうしとしてさいかいしているはずだ。きっとあちらにしてみれば、記憶のなか以上にわたしは大きな声で、図々しく、でたらめに攻めてきたって感じだっただろう。わたしはいま、すんでいるところも、まいにちも、まったくかわりながら、ほとんどおんなじようなことをかんがえています。そして、再会の直前にちょうど、あなたが好きだったバンドのCDをようやく借りられるようになったところだったんです。良心の呵責はあまりありません。そもそも良心などとゆうものはもちあわせておりません。ただ、なんとゆうか、いまがそんなにわるくないとおもってるだけです。それは再会にとってかなしいことかもしれませんが。まあ、さほどよくもないかもしれないきょうこのごろではありますが。


 さらに前、下書きにとっていた内容。なにがあったのだろう。


勝手に受け取った悪意を膨らませて
泣きたいけど泣けない そんな気分


宙が落ちてくればいいなんて
そんな願いならどうせ叶わない


もう二度と戻れない
僕のなかのどこにイノセンスはあるの?


 わたしの好きな映画の特徴を2つだけあげる。

  1. たとえ一瞬の出会いだとしても、それがその人を深いところで支えつづける。
  2. 感情がこみあげて、爆発する。


今年も残すところ1日。「秘密の青い小箱(c.あがた森魚さん)」大放出?でした。
それでは最後に。

第二回 四谷自由と生存の野菜市

moons11dec2009-12-28

昨夜、四谷自由と生存の野菜市と、住民さんを交えておこなった忘年会を終え、素人の乱界隈の忘年会に少しだけ野菜を届けて帰宅。すきやで腹ごしらえし、徹夜だったので1時間程度か軽く仮眠をとり、仕事を終えて寝ようとしたが興奮でか眠れず今にいたる。


第二回目の野菜市は、本当によかった。たぶん、トークイベントや餅つきや占いなどの連帯企画がすべて効を奏し、仕入れ担当の方々や子どもへのプレゼント案やビラのデザイナーさんなどもセンスを発揮し、何より師匠のまさに力わざの尽力によるパルシステムさんからの大量の野菜カンパ、準備やびらまきや当日のみんなの努力と楽しむ空気がお客さんを呼び寄せた。


リピーターも多く、仕入れ額は変わらず、前回の3倍(「ケタがちがう」)といっても過言ではないほどの売り上げを叩き出した!


これで、仕入れ予算が安定するのはもちろん、仕事が見つからない住民さんやボランティア仲間にお金が1人ずつお支払いできるようになるかもしれない。


本当に、居場所がなくて左翼?界隈に来て、それでも居場所がなかった人たちも、運動への関心はさほどない人も、ともに最近は集まるようになり、深い思いを共有しながら生きやすくなって一緒に生きることを楽しめる輪が広がってる。忘年会の様子を見ていて、わたしはとてもうれしかった。幸福感に満たされた人ばかりではもちろんないけど、むしろ傷つきやすくて今でも生きづらい人ばかりかもしれないけど、狭いインディスペースで同じ空気を吸っているあの瞬間、きっと何かをわけあってるっておもいたい。この日のでたらめぶりにやきもきした方も見られたが、きっと何かが伝わってるだろう(だけどちょっぴりは反省もしておく)。


来年は、さらにおもしろい年になりそうな予感がしている。このでたらめな時代を味わいつくし、はっちゃけた世界を表出させたい。


写真は大切な仲間たちです。